九十九歳と二ヶ月になったおば、正確には祖母の末妹、とひさしぶりに電話で話す。
半年ほど前、ながく老人施設で寝たきりになっているこのひとから、祖母の昔話しを秘密めかして聞かされておおいに憤慨した。
私にとって母親代わりの祖母が、若い頃、まだ十代のころ、祖父と結婚するより前(戦前のできごとである)祖母の姉にあたる婚約者とのこと言いにくそうに言われたのだった。
「おかあさんはずっと恨んでいた」とトコちゃんが話していた、と言うのだ。
「トコちゃん」とは、姉が婚約者と結婚してもうけたひとり娘であり、祖母の姪にあたり、
九十九歳と二ヶ月のおばと同い年だった。
曽祖母には、10人以上の娘がいて、長女の娘と末っ子が同じ年に生まれたのだ。
祖母は、この姪と強いつながりを持っていたし、私も持っていた。
その親しくしていたひとから実は「恨まれていた」と聞くのは衝撃である。
姉とこの男性との結婚はすぐに破綻し、かれは早くから愛人のもとへ去った。
戦犯でありながら、戦後豊かにくらし長生きした。
愛人のもとで死んだ父親の葬儀に駆けつけると、
としこには、一銭もやるな、という遺言があったそうである。
愛人が書かせた、とトコちゃんの言い分であった。
あくまでも悪いのは愛人であった。
ひとはそこまで事実をねじ伏せて、肉親の愛を捏造てするものなのだろうか?
婚約者が姉のもとを訪ねてきたとき、祖母が婚約者と散歩に行ってしまった、というのが恨まれた理由であった。
祖母が十七歳のころの話しである。
そんなことをひとは生涯恨むものなのだろうか?
姉は自分の元を去った夫を恨む代わりに身近なものを恨んだのか?
この姉妹のあいだには幼いころからの反感や競争心というものがあったろう。
しかし、それを娘が受け継ぐものなのだろうか。
仲がよかったわけではないおばに打ち明けて、祖母の名誉を傷つけたりたりするものなのだろうか。
するものなのだろう。
誰の関係もよくない血縁なのだから。
私は、祖母から姉の夫であるひとの話しを聞いていた。
祖母が、この男性のことを憎からず思っていたらしいことも知っていた。
私が二十代で救急搬送され生き延びた朝、祖母がしょんぼり枕元にうなだれて座っていた。
亡くなったの、とそのひとの苗字を言った。
祖母のうなだれた細い首に、せつない想いが伝わってきた。
自分が生死をさまよって生き延びたことと、祖母が複雑な想いを寄せていた姉の夫の旅立ちにつながりがあるように感じられた。
私は、祖母の昔の恋心、秘密を共有したような気分があった。
孫である私に悲しみにうなだれる姿をみせる祖母に、
親密なきもちを持った。
おばからいかにも醜聞という体裁で、いいにくいことだけど、あなたに知らせておく、と聞かされると、思わずかっとなって、その話しなら知っている、とさえぎった。
「手紙をもらって困った」って言っていた、と私は言った。
「あら、むこうもそうだったの」と、泥を塗った上に泥を重ねた。
祖母が婚約者に色目を使った、とか、横取りしようとした、とかそんな言われ方をしていたのだろう、きっと。
うんざりした。
おばからそのての話しが続いていた。
そのて、というのは、だれとだれに肉体関係があった、とか。
そういうことだ。
そのときすでに九十八歳と数ヶ月だったひとの、いまだ性的なからみである。
あっぱれとも思った。
しかし、話しが母親代わりの祖母に及ぶとなると、もう結構!
であった。
もう、これまで、というきもちだった。
もう二度と電話しない、
しかし、着信を無視することはできない。
折り返すと、くったくなくどうしてるの、と聞かれた。
勘の良いひとだ、私が電話しない理由を考えて、そうだ、おばちゃんの話しをしたのが気に障ったのね、と気がついているだろう、と思ったがまちがっていた。
祖母が晩年ぼけてしまったのを、ぼけちゃったひとはいいわよ、のんきで、と憎らしそうに言うのである。
後列3人娘の真ん中が九十九歳と二ヶ月のおば、向かって右隣で品を作っているのがトコちゃん