仕事中に祖母から電話がかかってきて、具合がわるいから来てくれないか、と言われる。
当時、地域図書館に勤めていた私は、館長に時間休を申請し、私鉄を三駅ほど乗って祖母の住むマンションに行ってみると、祖母はどこかが特別にわるいようでもない。
だいたいなぜ、私が呼ばれるの?
近くには父がいて、個人商店主なのだから、ちょっと来て、といえば来てくれるはずなのに、
なぜ、仕事中の私が呼び付けられるのか?
ほどになくして同じ内容の電話がかかってくると、電話を取った館長が
「おばあちゃん、あまえちゃってるんじゃないの」と笑った。
いや、そういうことでもないような、
ではどういうことなのか、わからないままそのときもマンションに行った。
いつもとおなじ姿でこたつに入って寝るでもなく、起きるでもない祖母も元気がなかったが、私も不機嫌である。
「パパに来てもらえば」と迷惑そうに言うと
「なんだか言いにくい」と祖母はしょんぼりする。
大森に住む祖母の歳の離れた妹が、仕事をしているひとを呼び出すものじゃない、と進言してくれ、以来ぱったり呼び出されなくなった。
このとき、図書館は改築中でプレハブの仮事務所はがらんとして、寒かった。
職員の希望で石油ストーブが配置され、閉館中の職場でみんなひまそうにしていた。
館長はいつも寒そうにズボンのポケットに手をつっこんでいた。
今思うと、あのころ祖母には自分の頭がどうにかなる予兆があったのではないだろうか?
自分がどこにいるのかわからなくなって大森の妹に連絡をするという事件があり、その後祖母の認知症はゆっくりと進行し、とうとう施設に入れるしかないと判断されるまで十年以上、
祖母は一貫して孤独でさびしそうだった。
呼び寄せられたとき、やさしく、あたたかく祖母に接することができたらよかった、と思うが、できなかった。
できないにはできない理由がある。
母のない私は祖母に育てられたが、祖母はこの子の面倒はわたしがみる、というふうではなかった。
どちらかといえば、しょうがないからわたしがやってるの、というような。
そんな祖母に私は不満を持っていた。
ことに思春期のとき、祖母への反感、祖母の髪や肌を「きたない」と感じるきもちがほかのだれに対してよりもつよかったのは祖母との関係が一番身近だった、ということかもしれない。
祖母は思春期のころの私の仕打ちを、うらぎりと感じたし、
「飼い犬に手を噛まれる」
と言われた。
私はあなたの飼い犬でしたか。
恩を売るような祖母が許せなかった。
親のようで親でない身内。
だから困ったとき、私ではなく、父や弟や、私より大切にして扱ってきたひとに頼ったらいい、と思った。
いま思うに、ひょっとすると祖母は祖母で現実には私が一番身近だった、のかもしれない。
いま、自分があのころの祖母と同じような歳になり、子に手を払いのけられてはっとすることがある。
そして、むりもないとも思う。
祖母は祖母なりに一所懸命だったかもしれないし、私は私で子の世話を一所懸命してきたつもりでも、いつでも不足があるものなのだ。
この歳になってみなくてはわからない、ということが残念だ。