2000年の8月に叔父が亡くなった。
叔父との最期は、愛にあふれるものだった。
「あとで桃たべようか、皮むいて」と横になって私の気功を受けながら言った叔父のやさしい声が忘れられない。
その後、父が13ヶ月の昏睡状態の後亡くなり、数年後養母もこの世を去った。
今年1月に101歳で生涯を終えた大伯母に、ことばにしづらいふしぎさをやっとことばにできたとき、
「私もそう思ってたわよ、なぜあなたが帰ってこないのかって」
と祖母の葬儀に顔を出さなかった私に言いにくそうに言った。
育ててもらった恩を忘れた不義理な孫、という役を担わされていたらしい。
ことの次第を話すと、まあ、とひとこと。
私が養母の仕打ちについて相談するたびに、
「してもらってることに感謝してごらんなさい」
などとおとぼけなことは、このころになるとだれも言わなくなっていた。
叔父が誤解したまま死んでいった、と思うたびに苦しかった。
死者は、なにもかも知っているはずだが。
そういえば、と思うことがある。
叔父の納骨の日に、おばあちゃまのときも暑かったわねぇと親族のほうを向いて言った養母の顔である。
うすわらい、
《あんた知らんやろ、うちがはめてやったんや》という、おかしくてしょうがない、という顔。
彼女はあの世へ行ったって、私が知ろうが知るまいが気にしていない。
いっとき私の評判が彼女が同じく憎んでた父の親族のなかでわるくなることが目的なのだ。
だから嘘というのとも少しちがうか。