もう何年も前から正月らしさを感じることがなく、むりに正月を装うような気分でもないので、ぼっといつもの通りの朝を迎える。
夫がむじゃきに
「あけましておめでとう〜」と起きてくる。
娘が「アケオメー」と起きてきて、ひとりで遅い朝食を作り始めると、とっくに朝ごはんが終わっていた私たちも空腹になる。
三人分の目玉焼きとマッシュルームと玉ねぎ炒めとバゲットを食べる。
元旦の凧揚げは、この二十年ほど続けてきたが、昨年の河川敷は、いつまでたっても台風19号の被害が放置されたままで、とうてい凧揚げのできるような状態ではなかった。
今年は、だいぶ整備され、ゴミも片付けられたので凧を揚げられそうだ。
朝は冷え込んだが、昼近くなると日差しが強く、厚着で出たら汗ばむほど。
澄んだ青空の下、子ども連れの親族か友だちか和やかな笑い声が子ども中心にわっと湧いてひろい河原にひびく。
私たちの凧は、ぺらぺらのポケモン凧だが、子どもたちが持っているのは、すばらしい鳥のかたちをして、尾がはばたくようにできている。
風ひとつない晴天は、河原であそぶにのはもってこいだが、凧揚げには向かず、凧を持った夫は、なんとかすこしでも風のある方向を探しながら、ひょろひょろとずいぶん遠くまで行ってしまった。
サッカーの練習に使うグランドのベンチ・・わたしが「私のベンチ」と呼んでいるベンチ・・に二頭の犬のリードを繋ぐが黒ラブは、元旦の土手は初めてで気弱におろおろしている。
なんでも初めてのことに怖気付くやつなのだ。
私には、お気に入りの木がある。
夫と娘が凧に夢中になっているあいだ、まっすぐ木に向かって歩いて行くと、河原はきれいになったが、川沿いの流木やゴミは、まだ残っていて、お気に入りの木の枝にもゴミが絡んでいる。
登山靴では登りにくいが、思い切って登ってみた。
榎のつるつるした幹は肌触りがよく、くねった枝にはからだを乗せるのに都合のよいくぼみがある。
スタジャンを着たまま、枝に沿ってねそべって両腕でかかえてみる。
下をながれる川のきらめきと、遠くに富士の高嶺がいつもよりずっと澄んで近くみえる。