上野千鶴子と鈴木涼美の往復書簡、一年間に渡るという十通の手紙。
このひとどういうひと?
元セックスワーカーである。
東大大学院の出で芥川賞候補となるような作家であり、両親とも文化人である。
で、どんなひと?
早めに決めたいところ、「クリスマスってきらい」と眉をひそめた顔にひかれる。
このひとかわいい、と思う。
おばさんもクリスマスきらいなので。
上野千鶴子大先生に対する視点が百八十度変わったのは「女ぎらい・・ニッポンのミソジニー」以降。
浦川べてるを知ったのも、自死グリーフの会を知ったのも、孤独死の現実を知ったのも、東電OL事件の実情を知ったのも、きょうびママたちが料理をしないと知ったのも、この本から。
上野千鶴子が、セックスワーカーに眉をひそめるということはなさそうだが。
いやだな、と思うのは、自らの性風俗ビジネスをウリ、同時に学歴や偏差値、ひいては親のステータスをもウリにする鈴木涼美というひとを評価するのに大先生も、彼女の親や学歴を強調しているところだ。
「沈没家族」というドキュメンタリー映画の評に、加納穂子という、息子の保育を他者にゆだねた女性の母親、つまり息子の祖母である女性学者と知り合いであるらしく、内輪っぽいコメントも気に入らなかった。
大先生は老獪に、無邪気な女性作家を操縦しながら自分の主張を展開している、一方、涼美氏は過剰適応に大先生のことばに反省したり、ふかくうなづいたりしながら、このひとには自分の考えや主張というものはほとんどないようだ。
ついに十回目でかみ合いましたね、と大先生はまとめようとしているが、私にはどうもそうは読めない。
性風俗ライターの作品をこれまでも読んできたが(特に菜摘ひかるの作品)両親の学歴や自分の学歴をアドヴァンテージにしているひとは初めて、
みんなどこか暗い家族史だったり、性愛のもつれだったり、捨て身の丸裸感があったが、このひとは、
あたしはそういうこたちとはちがう、
帰る家あるし、そこそこ裕福だし、親は理解あるし、
と言ってのける。
性風俗の世界を生きたことも日本の最高学府のメンバーであったことも標榜しながら、どうもただ標榜しているだけのようである。
私がグロ、と感じたのは、彼女が母親(絵本作家拝島かり)と喫茶店で話す内容である。
母親の容姿を称え、ブランドのファッションをベタ褒めする娘。
あなたが売春してもあなたの生き方だから、と言う母親の欺瞞。
彼女が娘を前にしてもっともらしく述べる恋愛観、人間観はゲス、
計算高く駆け引きして「成功」した自分を見て、と娘に言うハレンチ。
この母親を「品がよく、知的で話題豊富」と評する子・鈴木涼美の育っていなさ加減。
母親が、この娘を追いやったな、と思う。
下着を4500円で売る高校生、自分のはいていたパンツを買う男性に対する嫌悪感を繰り返し書いているが、
自分の体温の残る下着を4500円で売る自分はなんなのか。
下着を売る以前に、男性嫌悪はなかったのか?
いやいや娘を持つ身としてはそらおそろしい実話である。