スーザン・ソンタグの日記「私は生まれなおしている」1947-1963を読む。
ソンタグは1933 年生まれで、2004年に亡くなっているからだいたい71歳まで生きた勘定になる。
これは彼女の生涯、15歳から31歳まで約16年間の日記である。
レズビアンでありながら若い時ひとりの男性と結婚し、息子ディヴィッドをもうけ、以来この息子はソンタグの親友であり、この日記もかれが出版した。
私が2010 年に「北アフリカ通信」に感想を書いた「死の海を泳いで」も、やはりSSの死後ディヴィッドが書いたものである。
https://kunierid.exblog.jp/13744964/
母親の日記をどこまで公開するか、悩んだ様子が前書きに書いてある。
三十年近く闘病を繰り返してきたのに、死後のことは記してなかったらしい。
ひとこと「日記どこにあるか知ってるわよね?」と言っただけ。
今回もまた、生還するつもりでいたのだろう、と。
日本のキラワレモノ上野千鶴子先生のように、ソンタグも世界にケンカを売って闘って生き抜いてきたひとであるが、ソンタグの日記には意外にも「他者に対する恐怖」が書かれている。
うえちず先生には、およそ「他者に対する恐怖」なんてないだろう。
「他者から私への叱責に対する非難。
さまざまな感情がうっとおしい。
情動面でのペンピ。
ペンピの在庫からじっくりみつめる。
その凝視のもとでそれは溶解していく。」
と。
女性の社会学者として生きるのに、日本とアメリカだったらどっちがラクだろうか?
どっちがより大変だろう?
最近観た「最後の授業」の上野千鶴子は、あいかわらず鼻息があらく、昔のような関西系の成りから、洗練されたファッションになっておられ、衰えをしらないかのように見えた。
闘い続けて、見事な地位を築きあげ、商売もなかなか上手で、「夫」や「子ども」をウリにすることはもちろんないが「母」や「父」を折り込みながらのトークである。
ソンタグもあるイミ息子のことはウリにしているから、そういうことはあるのかな。
あっていいのかな?
アメリカのユダヤ系家族で育ち、母親と継父のあいだでもつれていた思春期を超え、大都市の大学へ進む。
あなたが大学へ進めるのは、私が新しいお父さんと結婚したおかげなのよ、と母親から言われる。
継父とうまくいってない娘を説得したいと母は思ったのだろうが、娘は女の経済的自立の必要性を心底感じた。
日記からは揺れに揺れ、葛藤に葛藤を重ねた人生が読める。
寿命からいえば上野千鶴子の勝ち。
日本の社会にさまざまな影響を与えつづけている点もポイントがたかい。
しかし悩める個人のこころに光を与える存在としては圧倒的にソンタグだろう。