一日

カンペキな一日という日があるものだな、と思う。

いつもであれば、日野の現場はホールがひろく、子どもの数も多くて終わるとぐったりして最近では帰りの電車のなかで居眠りすることしばしば。自宅近くの駅についてから歩くのもたらたらというていたらくであるのに、この日は、かつてから興味があったコレクティブ・ハウスの見学に行くことに数週間前から決めていた。

自宅から行くと1時間以上かかるので、日野からの帰り道に寄ろう、と思ったのであるが、実際行ったことのない場所に地図を片手に行くなどずいぶんやってないのだ。

聖蹟桜ヶ丘というところは、ずっと昔、知り合いの母親の葬儀に一度降りた経験があるらしいこと以外なんのひっかかりもなく、へんな駅だなぁと思っていた。

仕事で思いっきり声を出して、その日の活動を終え、帰り道と別な方向へ向かう。

お腹が減っていたが、まずは近くまで辿り着かないと不安なので、まず聖蹟桜ヶ丘まで行ってどこかでなにか軽く食べよう、たくさん食べると眠くなってしまうから。

と思って歩いているうちに、とりあえずコレクティブ・ハウスまで行っておこう、迷って時間に遅れるといやだから、とやや威圧的なNPO法人のひとのメールがプレッシャーである。

行き当ててから、もう一度駅にもどるのはたいへんだから、と道路を挟んでコーヒーの看板が出ている掘建て小屋風のカフェに道を渡っていくと、掘立小屋のなかはタバコの煙でもくもくしていて椅子にふんぞり返っていたふとめのおねえさんがよっこらしょっという感じで立ち上がって、ランチですか?とプロらしい笑顔で聞いてくれる、なにがあるのか尋ねると、クロワッサンのハムサンドとハンバーグなので、飲み物だけ注文する。

レモンスカッシュ。

点滴を入れるようなバッグにストローを挟んで渡してくれる。

時間がまだ早いので、外に置いてあるテーブルに腰掛けて点滴袋のレモンスカッシュを飲むことにした。

手持ち無沙汰なので、きょうの活動のメモを読み返して、補添しておく。

ちょっとした子どもの動きや表情はすぐに記憶から消去されてしまうので。

ちょうど良い時間になったので、立ち上がりちょっとなかに挨拶すると、おねえさんはふんぞり返ったまま、大きな手のひらをこちらに向けてくれた。

 

コレクティブ・ハウスの住居者三人から直接話しを聞き、法人のひとの説明を聞き、コンクリートのうちっぱなしとほどよい木造が織りなすすばらしい建造物のなかを案内された。

こんな暮らしもあるのね、と日本では難しいと思い込んでいた住民どうしが適切な距離で付き合う共同の暮らし。

決まり事や、役割。

かなり長い時間お邪魔して、住人三人+NOP一人に見送られて帰る。

 

聖蹟桜ヶ丘のホームで各駅停車がくると案内があった、とすみません、と近くに居たおじいさんから声をかけられる。

え?わたし?

と周りを見るとデブ学生がシカトしていて、わたしが話しかけられているのだ。

というのは、その方は白杖をつき、目が不自由らしくどこを見ているのかわからなかった。

はい、と答えると、

電車の乗り口を教えてもらえますか、と言うので、

ここです、とやせた身体をその位置に運ぶ、

電車が入ってくればすれすれの位置だ。

おっかなくてしょうがない。

なるべく力をいれないように、転落しないように支えている。

肩をかしてもらえますか、と言われるのでどうぞどうぞ、と肩を差し出す。

何両ですかね、と聞かれる。

知らないので答えられない。

京王線がやっとホームに入り込んできて、乗り込むのもなかなか大変である。

私が介助の仕方をしらないので、おじいさんの白杖の邪魔になっていたのかもしれない。

乗り込むと、ここの席はあいてますか、と聞かれるのであいてますあいてます、と答えるとやっと座席にすわる。

私はつぎのつぎの駅で降りなくてはならない。

どこまで行くのですか、と聞くとむさしなんとか、と知らない駅である。

むさしのつく駅はいっぱいある。

武蔵新田(にった)、武蔵小杉、武蔵新田(しんでん)、武蔵新城武蔵中原・・。

どうしよう、と周りを見渡す。

見事な'みてみぬふり'モード。

なかには、サポートの意思があるらしいひとがすっとこっちを見ている。

どうも車掌がいるようなので、後部車両まで大股で歩いて行って、車掌室をとんとんと叩く、車掌はしばらく窓から顔を出してなにやら真剣に確認作業していたが、私に気づいて扉を開けてくれた。

二号車に目の不自由な方がいるので、サポートお願いできますか。

と言う。

聖蹟桜ヶ丘から乗り込むところは見ていたらしく、私が介助者だと思ったらしかった。

介助者じゃない、と言うとおどろいて「ありがとうございます」と言ってくれる。

二号車にもどって、おじいさん、私つぎ降りますけど、車掌さんに頼んでおきましたから、降りるとき助けてもらってください、と言うと、ああ、というようなそっけないお返事であった。

 

いやいや、おっかないぞー、あれじゃひょっとした拍子に簡単にこけ、あっというに転落することが想像できる。

・・あぶないよ、家にいたほうが身の安全だよ、外は危険!

などという問題ではない。

駅の構造、町の構造、介助の方法がまったく不完全なのだ。

目の不自由なひとがこれだけ亡くなっていて、その日だけではない、

やっ! あぶない!! という光景はけっこう目にしてきた。

きっと大丈夫なんだろうな、と素通りしてきた光景がもしかすると大丈夫なんかじゃぜんぜんなかったのかもしれない。

 

ラインでそんなことがあり、帰り道であることを伝えると「それはいいことをしたね」と夫。

「?」の瞬間。

いいこと??

・・・??

 

なんにも食べてない、と送るとスバゲティがあるというのでま、いいか、スパゲティでも。

だいたい、夫も夫の妹もスパゲティがだいすきである。

すきなの、と聞くとふたりともべつに、と言うが、スパゲティを多用している。

きっとすきなんだろう。

帰ってから、前日の昼のスパゲティと今日の昼のスパゲティを合わせてチンしたものを食べた。

 

思い切ってコレクティブ・ハウスを訪ねることにした結果、初めての知らないひとたちと会って話しを聞き、質問したりわらったりして、途中学校から帰ってきた子どもたちにおかえりなさい、と言ったり、猫と暮らす上品な生活空間をのぞかせてもらったり、カフェのおねえさんとのちょっとしたやりとりや、帰りのホームで肩を貸すことになったりしたこと、そんな盛りだくさんの一日が、なにか変化のあらわれのような気がするのだ。

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