ゆで卵のからをむくのが苦手で、へんな針が出てくる卵型のグッズを試して自分の指を刺したり、ゆでるまえの卵が割れてしまったり、どうやらむきやすくもないらしく、最近は卵の質なのかなんなのかあまり手こずることがなくなった。
ゆでた卵全体をごりごりまないたの上でこすってヒビ割れにしてから水につけておくのも慌てなければ良い方法だが、だいたいちょっとのそういうことが待てないたちなのだ。
ゆで卵のからを上手にむけず、ボコボコしろみが陥没して食べるところが少なくなってしまったり、いらいらしてしろみをほとんどからと一緒に捨てる始末になったり、
昔、同い年の女三人で朝食のゆで卵を食べたところ、ふたりともていねいにからをむいてまるっとしたゆで卵を長細い指でつまんで優雅に食塩をふりかけて食べているのに、私だけうまくからをむけないでいると、
「あなた卵のからむくの上手ね」
と皮肉を言われた。
かっと熱くなって恥ずかしさと苛立ちが湧いた。
以来、ゆで卵のからをむけないでいると、彼女のさらりと言ったことぱとしずかな横目を思い出していやな気持ちになった。
彼女がひとりで住んでいた刈宿という地にあったアパートによく泊まりに行った。
古いアパートの二階で、寒かった。
私もアパートで猫と暮らしていた。
彼女は色白ですらっとした長身。
バイオリンなど習うお嬢さんだったのが、高校生のときに活動家の男と駆け落ちした。
私が刈宿に足しげく通ったのは、その男性が二度にわたる暴力事件で服役中にだったころで、そのひとと別れたい、と男性の暴力性についてうめくように話していたのだ。
ところが男がシャバに出てくと、彼女の態度が一変して、電話をすると「いま宿六と朝のコーヒーを飲んでるの」
などと幸せそうに言うのでたいそうがっかりした。
いまから思うとDVであり、つめたい風呂に沈められたりしていたのに。
そのころは、実際にはいっぱいあったはずのそのようなことも表沙汰にならず、あってはいけないこととして口をつぐむことのひとつだった。
二度目の収監の前に子どもをひとりつくり、大きなお腹で組合の集会で壇上に立つ彼女におやじ連中からいいぞ!などと声があがったりした。
男の子が生まれ、(宿六)がふたたび刑期を終えて出てくると、その宿六はすぐに別な女性と子どもをつくって家に帰ってこなくなった。
彼女にはしっかりした職業もあってべつに生活には困らなかったが、そのときの彼女の落胆はどんなものだったろう、私にはなにも話そうとしなかった。
彼女が退職後に関わっていた在住外国人の支援組織のある駅でぐうぜん自転車で通り過ぎる彼女を呼び止めた。
すっかり面変わりしてむくんだような顔をしていて、一体自分がどこで彼女と気づいて呼び止めたのか不思議なくらいだった。
そのとき、次にランチをする約束をして別れた。
約束の日に彼女は来るには来たが、息子がまずいことになっているのですぐに帰らなくてはならない、と言った。
私はがっかりした顔をしたのだろう、お茶だけ飲むよ、と私のうでをひっぱって、ドトールみたいな店に行った。
初めて話しを聞いたのは、そのときだ。
三十になる息子の問題で悩んでいること、元夫が出て行ってしまってから、当時まだ四歳くらいだった息子を放置して飲み歩いていたのが、きっと息子の問題行動の原因だ、と苦しそうに話した。
「捨てられたというかんじはひきずったよ」と。
結局二回ほど携帯に電話をしたが、むこうには会う気がないらしいことがわかり、そのままになった。
彼女が熱心に関わっていた外国人のサポートのためのカフェも閉店してしまった。
最近、刈宿という彼女のさびしげな風貌に似合った地名はいったいどこだったのだろう、と地図をひらいて見ると、今住んでいるところからさほど遠くないことがわかった。
ノラみたい