日曜日の夜は、だら〜としていたいのに通夜へでかけた。
友人のダンナが死んでしまった。
人から訃報を知らせる電話がかかってきたのは朝の8時半で、こんな時間に飲み会の誘いはないな、と素早く考えたが、やはり飲み会の誘いではなかった。
一週間の予定の検査入院の数日後に突然脱水症状を起こして亡くなったのだ。
埋め立て地を突き進むバスに乗ってりんかい斎場に向かう途中また気分が悪くなった。
「また」というのは、このごろ一定の条件下でパニック発作のような不安と恐怖に襲われる。
金曜日は、雨ざあざあのなか、ラッシュ時の電車に乗ると、ちょっと動いては止まり、ちょっと動いては止まり、
閉じ込められて、熱気で窓ガラスが曇り外がみえなくなると、あれやばいぞ、と動悸が始まり、次の駅で降りた。
次の電車に乗っても、状況は変わらない。
混み合う車内と、閉塞感、
ひと駅ひと駅、大丈夫か?
と心配しながら、なんとか最終地点まで行き着いた。
斎場に向かうバス、自分も含めて全員が黒い服を着ている。
外は、刻々と闇が深くなり、くぐもった話し声が聞こえてくる。
私は、一番後ろの座席に友だちに挟まれて真ん中に座って、ふたりの話しに適当に相槌を打っていたが、ドキドキが始まった。
「劇団態変」以来の恐怖である。
斎場の一階では、三件の通夜が営まれており、三列にならんで焼香し、流れ作業で二階のなにか食べる場所へと移動させられる。
違ったのは、焼香を終えて部屋を出るときに、アルバムが置いてあって、家族の写真が並んでいたこと。
口とは裏腹に、ダンナを挟んで成長したふたりの子どもと友だちの自然な笑顔。
なんだよ、話し違うじゃん、と思う。
たまに会うとダンナへの不満が多かった。
聞くのがいやなので、
「あんなに好きで結婚したのに」と言うと、
「むこうは好きだったかもいれないけど、私は違う」などと事実と違うことを言ったりした。
大酒飲みで、酔ってはぶっ倒れる夫に疲れていた友人は、泥酔して裸で床に転がる夫を写メして、見せたりした。
昔から大酒を飲むひとで、こんなに酒を飲んで、よくこんなに元気でわかわかしくいられるな、世間の言うことは嘘で、このひとは、酒で元気をもらって生きられているのかもしれないぞ、と思ったりした。
2017年の7月に十年以上ぶりで会ったとき、このひとの上だけ時間が止まってるの、と思ったほどだった。
彼の主催する文学愛好家たちの講演会であった。
いかにも元文学青年たちの集まりで、変わり者、頑固者、自由人、というタイプにみえるひとたち(なぜか全員男性)であった。
私は、不寛容だ。
だから自分で自分をしめつけることになるのだ。
みんな生きるのに必死なんだから、電車の中で英語日本語ちゃんぽんで喋る女子がいたって、へんなスケスケの服を着た女の人がいたって、いいじゃん。
急に、電車のなかでそんなことを考えた。
彼には死なないでほしかった。