表参道に用のあった夫と永田町で待ち合わせて駅ナカで軽く昼ごはんを食べてからでかけよう、ということになっていたのに、落ち合ったとき夫は勝手にカレーを食べ終えていた。
「行く」と言っておいて行かない、というのはいやなのだ。
行くと言った以上は行く。
特に高齢のひとには。
リップサービスだけにしておいたほうがよかったかも、と思うこともあるが。
直前に電話すると「空けておく」と言って「空けておくったって、いつも空いているんだけどね」と笑った。
私はうすぐらい駅ナカで夫を待っていた。
向こうから、帽子をかぶった夫が来たので手を振るが気がつかない。
手を大きく振っても、ぶんぶん激しく振っても気がつかない。
目の前まで来たので、ひろしくん、と呼ぶとやっと妻に気づく。
そして、どうする?なに食べる?
と聞くと気まずそうに「もう食べた」と言うのである。
私はおむすびを二個買って、道中食べることにした。
永田町から木場へゆき、豊洲を通るのはいやだな、と思っていたが、しあわせなことに気がついた時には通過していた。
木場から京葉線に乗りかえる。
土曜日の昼すぎ、ホームは混雑している。
これまで出会ったことのないタイプのひとたち。
少し待って快速に乗った。
工場地帯に沿って走る。
なぜあんなところに住宅を開発したんだろう?
車内の混み方、学生やきれいな格好をした若い女性や、ベビーカーに子どもを乗せた家族連れや、ペットを入れたケージを3個持ったふとった双子のような夫婦や、お年寄りやで満員状態。
あきらめて立っていたら。
前のひとが降りた。
そこには、亡くなった母のいとこが住んでいて、会ってもよい、と言ってくれたので会いに行ったのだ。
母の父親は「根岸源太郎」という人物である。
根岸源太郎について良い話しを聞いたことがなかった。
母のいとこは、祖父にも亡くなった母にも親しみを持つひとのように思えた。
戦前の若い頃の母の楽しい思い出話しを聞きたかった。
もう90を超えていても、頭も身体も頑丈でいらっしゃる。
私の知るどの90より元気で、力がある。
初めて行った家を出る。
小一時間話しをして、これまで電話で話した以上のことは残念ながら知ることはできなかった。
もう来ることはないだろう家を後にして、足早に駅へ歩いてイオンへ飛び込んだ。
お手洗いを借りることは憚られた。
大きなイオンのビルを出て、お邪魔した家の方角を向いて、祈るような気持ちになったのはなんだったのだろう?
元気でいても寂しそうな、強気を見せながらそうでもないような、そんな90を超えたひととの最初で最後の出会い。
私の誕生日の食事をその日に済ませよう、ということになる。
丸ビルに入ると、一階には大型の液晶画面がありラグビー中継を観ている黒山の人だかりである。
私は夫が選んでおいてくれたハンドバッグを見に同じフロアーのブティックに入る。
一点物のハンドバッグには三羽のふくろうが刺繍されている。
素敵だが高価であり、分不相応である。
やめやめ、とまた食事のあとで寄りますね、自分の肩にかけたり、腕に持ったりして見せてくれるきれいな店員さんから逃げる。
もう来ないもん、と思っている。
と、その時、いきなり「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」という歓声があがる。
歓声というかどよめきというか。
ブティックの外に出ると、液晶画面の前のひとだかりから喜びがあふれている。
日本のチームがアイルランドに勝った!
奇跡のような試合だ、という。
それで、私はこのバッグを買うことに決めたのであった。