写真は、昭和29年の正月、私はまだ1歳になっていない。
歩けもしない。
この母の着物の柄は、なんとういうのだろう?
思い切って、近くのリサイクル店で聞いてみた。
店主は、私と同年齢の女性で、アシスタントは若い痩せ型のメガネをかけた方。
ふたりでこの店を切りもりしている。
ひさしぶりに訪れると、店主は数年前より元気で若々しい。
アシスタントさんは、いくらか年齢を積まれたが、相変わらずぴしっとした気持ちのよい客あしらい。
おそるおそる写真を出すと、これは疋田しぼり、と即答が返ってくる。
布はりんず、京都のものですね、と。
手元にあるか、と聞かれたので、いやいや、もうないです、と言うと、少し残念そう。
昔のものは、糸がいいし、自然染料で染めると140年はもつ、と。
えー140年!
そう、石油系のものは劣化するんです、と。
ほとんど捨てたあとになって、縁あって着付けを始め、そそこから残した着物を調べてみると、母のものと思われるものが数枚あった。
オールドミスで京都の着物狂いだった養母のものは、今思えばずいぶん上等のものもあったが、ほとんど捨ててしまった。
65年前の、母のこの着物は、どうなっただろう?
亡くなったあと、ぜんぶ父が処分した、と聞いているが、残っているものもある。
もしこの着物に価値があって売れたとしたら、母が売ってお金にしていた可能性もある。
手先が器用で、縫い物も編み物もだれもかなわない、と祖母が言っていた。
あまりぎれで作った子ども用の手提げかばんは、まだ持っている。
男物のウールに銘仙の裏のついたかばんには、両面にアップリケがしてある。
パッチワークの花と、犬。
手仕事から立ちのぼってくる母の熱気はなまなましく、時間がたってもそこにあるもの、死で分かたれても、なお流れ続けているものをはっきりと感じさせる。
「女優さんみたい!」とアシスタントさん。
父方の親族からは、さんざんの扱いで、死後ながく経ったいまでも、「あんたのおかあさんは・・」とろくなことを言われない母である。お世辞でも、良いことを言ってもらえるのはうれしい。