死産とまじない

矢川澄子というひとは、子どもの絵本に関係する作家だとばかり思っていたのが、お気に入りのブログ「本はねころんで」さんの記事を読んで再発見があった。

矢川澄子が、澁澤龍彦というひとの元妻であり、なんと谷川巖と恋愛関係にあり、しかも、

というか最終的に自死している。

鴎外の娘、森茉莉と親交があったらしい。

彼女の著書「父の娘」という本を図書館から借りてくると、森茉莉ともうひとり、アナイス・ニンという作家について書かれてある。

「父の娘」とは、つまり父親からとうとう放れることができず、父の娘として終わってしまう女のことである。

フロイトユングが名付けたことばである。

 

これまでアナイス・ニンは何回か読もうとしたが、私には読めなかった。

矢川は、男性優位の文壇においてアナイスの日記文学は正統な評価を得られていない、と主張する。

私もアナイスを「正当な作家」ではない、と感じていたのかもしれない。

 

「父と娘」を読みすすむうちに気分がわるくなった。

森茉莉、アナイスそして矢川が自分を飾ることばにげんなりする。

図書館でリクエストした「アナイスの少女時代」がやっと到着し、しばらく休んだから読む気になった。

次に届いたのが「インセスト」・・アナイス・ニンの愛の日記、無削除版・・とある。

インセストとは近親相姦のこと、とは知らなかった。

最初のページをめくって、なんだかつまらない、さっさと返してしまおう、と考えている。

アンネの日記」を読んで感じた日記の作者のなみなみならない自己愛。

しかし、せっかくだから訳者後書きを読んで、この女性がどのように亡くなったか調べておこうとする。

すると本の終わりに、アナイスが死産したときのつぶさな記録が目にとまる。

あまりのなまなましさに引き込まれた。

死産と言っても、アナイスは妊娠が発覚したときから、出産はできない、と決めている。

アナイスには夫がいて、愛人ヘンリー・ミラーがいて、数人の愛人がいる。

そのだれとも濃い相思相愛なのだが、子どもの父親がヘンリー・ミラーであることをアナイスは知っている。

子どもは堕胎しなくてはらない、と堕胎を促す薬を飲んだが、効果が表れないまま六ヶ月の身重となり、病院で死産する場面である。

医師と看護師に囲まれて、死んだ子どもを胎内から引き出そうとするのだが、医者が器具を使おうとすると彼女は拒否し、お腹をまるくさすって、とんとんとん、とんとんとんとん、と叩いてなかの胎児に出てこい、出てこい、とまじないをかけるのである。

まじないに応えるかのように、ようやく子どもが外に出てくると、死んだ赤ん坊を見せまいとする看護師に抗って、アナイスは医師の腕のなかにある赤ん坊を見る。

ああ、ヘンリーにそっくりだ、とアナイスは思うのである。

 

何度も死んだように感じた分娩の日の翌朝にはすっかり命を取り戻し、訪れる夫や男たちのために化粧をするアナイス。

彼女は鏡を見てマスカラを塗り、自分を美しいと思うのである。

 

さて、ここで私が思うのは、アイナス・ニンはほんとうに子どもが欲しくなかったのか、あるいは実は欲しかったのか、どっちなのだろう、ということである。

アイナス・ニンの潜在意識が、ほんとうはどっちだったのだろう?

拮抗するふたつの意識を感じて、死産とまじないの場面を読むと気が遠くなる。

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