書店で見つけた建築雑誌に、ふと吸い込まれてページをめくると、確かに見覚えのあるスリランカのホテルの写真である。
バワという建築家の特集であった。
めずらしく雑誌を買うことにした。
ジェフリー・バワがスリランカ人の建築家だということがわかる。
スリランカのコロンボに赴任が決まったとき、夫は先に行って住環境をある程度整え、私は3歳になる娘と10歳になる犬、そして父が一緒に来てくれた。
父が滞在中に比較的コロンボから近いビーチ、ベントータ・ビーチホテルに出かけた。
市街地を抜け、海岸線を南下して、向こうに見えてくる建物の屋根の曲線にしびれが走った。
空と自然の中に、ホテルの建物のラインが柔らかく屹立していた。
そんなことは何も知らなかったが、バワの手掛けたホテルであった。
コロンボの代理店で予約しておいたのは、私たち親子のために一部屋、父のために一部屋の二部屋であったが、案内されたへやは地下の湿った小さな部屋であった。
海も何も見えない。
部屋を変えてもらおうよ、と夫に言ってレセプションに戻ると、満室だ、と言う。
そんな風には見えない、ガラガラである。
何度言ってもらちがあかない。
コロンボに支店のある日本企業のものだ、と言っても知らんぷり。
レセプションのポーカーフェイスはお馴染みである。
「満室だって、しょうがないんじゃない」
とすぐに納得しようとする夫に予約したコロンボの店に一度連絡して欲しい、と言ったが、コロンボとの連絡もすぐにはつかなかった。
しかし、父と小さな子を連れて、あんなジメジメしたかび臭い部屋に泊まるわけにはいかない。
しばらく待たされると、サリーを着た女性が出てきて、
「大変申し訳ありませんでした。お部屋がお取りできましたのでご案内します」
と荷物を持ってくれる。
抱かれている子どもにまでお愛想を言ったりして。
通された部屋はスイート・ルームで眼下にブールが見下ろせた。
ベッドの上にフルーツバスケットまで置いてある。
南国のフルーツが盛られたバスケットに小さな虫が集っていて、それに殺虫剤をかけられそうになったが。
いま、あの時、父がどんな眼で見ていただろう、と思ったりする。
あいつ、なかなかうるさいやつだな、とか
なんでもかんでも婿さんに命令して、悪いやつだ、とか?
それからこのホテルの屋根の曲線の前を通るたびに、私はうっとりと見つめた。
やわらかなラインでありながら凄みのある。
コロンボから南へ行こうとすればこの道を通るしかない。
スリランカにはビーチがたくさんあった。
週末に、くたびれるとどこかのビーチへ出かけた。
この曲線が、バワという建築家の創造したラインであることを、今更知ったのはなんとも残念である。