北浦和

昨年、北浦和の老人介護施設に入居した伯母を訪ねるのは2度目。

1度目のとき、彼女が自力で歩けなくなっているのを知って呆然とした。

伯母は94歳である。

自室でさよならを言って、立ち上がってこない。

じゃあここでね、と言うので、え、どうして?

と思わず聞くと、

「だって歩けないのよ」

私はぎょっとした顔をしたのだろう、

「えばることないか」

と伯母が付け加えた。

 

伯母は、若いころは別として、終始金に苦労し、夫を支えて勤めに出て、その勤めも、転々とした。

いつも働いていた。

勤めから帰る母を子どもたちは待ち構えて、伯母は座る間もなく夕飯を作り、犬猫の世話をし、そして自分自身の稽古をやめたことがなかった。

若いころから琴、長唄、詩吟、新内と声を出すのを趣味にしていた。

伯母の料理は、手際よく、美味しかった。

料理をするときは、伯父も、子どもたちも手伝い、私や祖母が招かれると、一緒に手伝わされた。

祖母は、いやな顔をしたものだったが。

 

その伯母が、いま自力で歩けず、自分のたべものを自分で作ることもできない。

ひとは、いつまでも同じでいることはできない。

ほんとうに、そうなのだろうか?

 

伯母は、ホームでのいろいろな活動が楽しそうでもあるが、わずらわしそうでもあり、私たちが行った日は、お昼ご飯も、夕飯も食堂はパスして自室でお菓子やパンで済ます、と言っていた。

 

伯母が大好きだった鰻。

ホームへ着く前に、食べて行った。

伯母には言ってない。

 

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子ども帽子

4月初回のリズムには間に合わなかったが、5月には間に合った子ども帽子。

これをかぶった子どもが「はじまるよリズム」と「さようならリズム」を歌う。

たのしい。

かぶりもののマジックを教えてくれたのは、ノマドSのイケミヤさん。

衣装よりも、大切と言われた。

世田谷パブリックシアターで初めてダンスのワークショップに参加したとき、どうして、ここにこんなおじさんがいるの、と思うような縞模様のポロシャツを着たおじさんと組まされて即興のダンスを踊った。

かれの頭を布でぐるぐる巻いて別人にしたイケミヤさんから、そのとき聞いた。

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桜の下

桜の花が満開になったら、と決めていた。

寒い日が続き、なかなか咲かなかった桜が、いったん咲き出すとあっというまに大ぶりの花びらをつけ、二階の窓を開けると鼻先にぐいと顔を寄せてくる。

 

四月九日日曜日、雨。

午前中、小止みのときにを狙って、三人で外へ出て、あらかじめ掘ってあった穴のなかに、骨を埋めた。

手放せず、抱きしめて泣いていた骨壷の中を覗くと、そこには生きていたザックのかたちどおりの骨が入っている。

細くて薄い。

手のひらをあてたときのザックのあたまを思い出す。

 

夫は、多摩川の写真と北斎の描いた多摩川と富士山の絵葉書を一緒に埋める。

あいつは多摩川が好きだったからな、と。

前日、西荻窪の風呂屋近くで買った小さなバラの花を添えている。

ザックが土に帰り、もっと大きくなって、もっと近くに居る気がする。

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花見

最後に会ったのいつだったけ?

ほら、イギリスがEU離脱して、まさかのことが起こるね〜ヒラリーじゃなくてトランプになったりして、なんて話してたから、6月?

 

友だちは、私鉄駅の柱の影に隠れるように立っていて、はじめ見つからない。

久しぶりに会うと見事なまでの白髪。

去年駒場で花見をしたときは、ザビエルのような髪染めのまんなかが白抜きになっていたのが、枝ぶりのよい桜を写メしたらすみっこに写っていた。

退職直後のことで、以来白髪染を止めた、のだそうだ。

 

寡黙で、話しがぽんぽんすすまない。

私は早口で、高圧的な話し方をするたちなのに、彼女はうーとかあーとか、最近はそれもなくて、しばらく黙ってから、つなぎの話しを始めたり、しばらく黙ったから待っているとなにも言わなかったりする。

しかも、お花見どうですか?

とメールが来て、いいね、行こうと返信して日時を決めると、でも1時までです、などと言ってくる。

 

本門寺の桜はまだだった。

幸田文のお墓に案内されたから、私が文さんを好きなのは覚えていてくれたのだろう。

幸田家のお墓に、文さんの弟のお墓を探したけどわからなかった。

かわいそうな弟。

露伴が出世してから、再婚した相手の女性は出のよいクリスチャンで、小さいころに母を亡くして育って来た文さんと弟を見下す。

自分の子は死産であった。

私の子が生まれるとあんたたちの劣等さが露わになるから、神さまが召されたのだ、ととんでないことを言うひとである。

大酒飲みの露伴ともうまくいかない。

この女性と露伴はほどなく別居してしまう。

弟は、からだが弱くて、小さいころは皮膚病に悩まされ、とくに夜ひどくなるのを文さんが面倒を見た、という話しだったと思う。

弟がグレて、露伴が殴ろうとするのを文さんがあいだに入って止め、逆に父親がひっくり返って、文さんがこっぴどく叱られたり、なんとも悲しい父と子どもたちの図だった。

この弟は結核で早く亡くなったのではなかったか。

幸田文の文章のリアリズムは、結核病棟の小説(闘という小説)を読むと、あたかも結核菌に感染るがごとくである。

 

そんな話しを友だちは、興味なさそうに聞いている。

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友だち「この桜有名なんだって」

私「へえ、なんで?」

友だち「うぅ・・・」