駅からの帰り道。
前方左手にあるビルの階段を降りてきた一人のおじいさんが、私の少し先を歩く格好になる。
そこにあることは知っていたが、だれかが出入りする様子を目にしたことは一度もない歯医者。
私なら選ばない、と思われる歯医者から出てきたところだった。
彼は、娘の同級生のおじいさんで、会えば必ず
「三角ちゃんは元気ですか。〇〇がお世話になりました」
、と同じことを繰り返す。
以前は、親切(わたしが💦)に長々と話し込んだこともあったが、少し認知がかかってきてからは、自分のことは話すが、こちらの話しはキャッチしない。
どういう対応をすればいいのか、わからず、しり切れとんぼの会話でしり切れとんぼでぷいと離れてしまう路上での遭遇がなかなか苦しい。
介護ヘルパーの仕事をしていて、老人にはとても優しく敬う友人に、
なんだろう、このめんどくさいかんじ、
と罪悪感を持って相談すると、
めんどくさいわよ
と、簡単に答える。
自分のケースには対応を怠らないが、同じ階上に暮らす老人のことが嫌で、エレベーターのボタンを押して、向こうから来ても待たないで、扉を閉めるのだ、と言っていて、
少し安心した。
その人の後を歩くわけにはいかない。
かといって、黙って追い越すことは気が咎める。
ならば途中まで、訳のわからない会話をするつもりか、といえば勘弁してください。
とうとう、遠回りを選んで、脇道に逸れた。
姑息だよな、と思いながら。
満開が終わって、うすくなった花のピンクが日差しを透かしている。
桜は不思議だ。
咲ききるまでは、しょぼくれてみえ、春雨や春風で長く保たない満開のいっときの輝きを、あれよあれよと言う間に終えて、散っていく。
今年は、雨を含んだ花びらが散るのがとても美しくみえた。
回り道の向こうに、三人連れがみえる。
三人とも紺か黒の装いで、入学式の帰りのようである。
三人で手をつないで、真ん中の男の子がぴょんぴょん跳んだり、スキップしたり、なにやら楽しそう。
真ん中の男の子の背が右隣りのお母さんよりやや高く、左手をつなぐ父親よりやや低い。
そのうち、真ん中の男の子が手をつないだまま、お母さんの頭をかじろうとしている。
三人連れの家族のように見えていたが、実はアベック?
と思い直すが、どうもそうではなさそう。
男の子は盛んに母親の頭にかじりつき、父親がひっぱってやめさせようとしている。
東田くん系の男の子だろう、と思う。
東田直樹くんが日本から発信した「風になる。自閉症の僕が生きていく風景」は、世界中に翻訳されて、知られてなかった自閉症のひとたちの内面を見せてくれた。
自らも自閉症児の親であり、日本に居た経験から日本語を理解するイギリス人作家が見出し、翻訳を手掛けることになったミラクルの一冊である。
彼によれば、「ミシマ、ムラカミ、ヒガシダ」である。
たまたまドキュメントを観た。
この本のおかげで、世界中の親がなぜ、うちの子はぴょんぴょん跳びはねてしまうのか、が理解できたという。
番組のなかで、東田くんは、いちばんこわいのは、ひとびとの目です、と言っていた。
世の中にはいろんなひとが不安定な気分で生きているから、きょうやさしい眼差しをそそいで親切に付き合ってくれたひとが、来年はもうそうでなくなっている可能性だってある。
認知が進んだおじいさんを避けた私が、遭遇した場面であった。