とうとうおもしろい、と思えないまま「忘れられた巨人」が終わってしまった。
おもしろいよ、すぐによめるよ、と言う夫のことばを真に受けて、そういう読み物が必要なときのために取っておいた。
そういう読み物が必要なときとは、
力がなく、
根気がなく、
むこうからもひっぱってくれないと読み進めない、というとき。
「お姫様」ってなんて言ってるの、と夫に尋ねる。
英語版で「princess」となっている、という。
マイ・プリンセスではなくて?
と聞くと
ちがうという。
大文字?
ときくと
小文字、という。
なにか英文の脈絡があるのだろうが、こちらにはわからない。
自分の妻を「お姫様」と呼ぶ夫、
「お姫様」としか呼ばない夫が気に触る。
子供扱い?
おだててるつもり?
違和感をうまく説明できないが。
カズオ・イシグロのテーマには「記憶」が重要な位置を占めている、と思う。
「わたしを離さないで」でも「日の名残り」でも。
でも、この「巨人」では、記憶そのものが陰謀によりひとびとから失われ、記憶が定かでない意識を生きている、というなんとも具合のわるい、設定である。
ひとびとの会話も、かみあっていない。
かみあわない会話、現実世界では会話はかみあわないのがふつう、といえるかもしれないが、かみあわない会話を活字で読まされることの苦痛。
かんべんしてよ、と言いたくなる。
何年か後に自分の感想を恥ずかしく思う日がくるのかもしれないが、いまは「なんだこりゃ」とノーベル文学賞受賞者の小説にけちをつける。