ジエーン・フォンダ

2011年の6月、わたしはなにをしていたのだったか?

ブログより。

BSで録画予約しておいた「獲物の分け前」を観る。

三十年ほど前、友人がVHVのビデオから録画してくれて、画像はいまいちであったが、そのとき実際の映画を初めて観た。

中学のころから私には見る目があったようだ。

 

ウォルト・ディズニー映画「クレタの風車」。

ディズニー映画にちょいちょい出演していた子役ヘイリー・ミルズが大人になって、初のキスシーンの相手役を勤めたのはピーター・マッケナリーという若手の英国俳優である。

パンフレットによれば、英国シェイクスピア劇団の俳優ということであった。

映画館で買ってきたペラペラのパンフレットには、オフの日に砂浜(クレタ島の海岸にちがいない・)に寝そべってなにやら話しているふたりの素顔の写真があった。

めの荒い白黒写真である。

 

驚くことにこの同じ写真を今ネットで観ることができる。

ああ、この写真を中学生の私はずいぶん大切にながめていたもんだなーと感慨深い。

 

ピーター・マッケナリーについての全情報はパンフレットに載っていた小さな顔写真の下に書いてあった経歴だけである。

 

当時通学に使っていた田園調布駅は、ホームからホームへ渡るためには階段の通路を越えなくてはならず、教科書の入った重いカバンをぶらさげて階段を登ったり下りするのはたいへんだった。

階段の通路に映画広告がはってあった。

 

ある日、いつものように通路をたらたらと通ると、そこにはってある映画ポスター三枚のうち一枚に他ならぬピーター・マッケナリーさんらしいひとが裸の女性の前で同じく裸で座っている。

映画の題名は「獲物の分け前」となっている。

通路に立ち止まって、裸のマッケなりーさんのポスターに釘付けになるわけにいかない。

そうしたかったが。

そのときは知らなかったが、この女優さんはジェーン・フォンダであった。

どうしてもその映画が観たい。

早熟で知られるミヨちゃんに、一緒に行ってもらえないか・・と聞いてみたがタイトルに「獲物」とくればエッチなものに決まっているから、成人向き映画に違いない、むり、と言われ泣く泣く断念した。

 

それから数年たって、金沢文庫でひとり暮らししていた頃、新聞のテレビ欄で「獲物の分け前」を発見した。

テレビがあるにはあったが、アンテナがなく白黒の画像が流れたり途切れたりしてよくみえない。

ほとんど見えない画面に釘付けになった。

そしてドシャぶりの雨の茫々と流れる奥に映る映像ピーター・マッケナリーさんを発見したときは心臓が高鳴った。

クレタの風車」以来の再会であった。

 

「獲物の分け前」を、初めて最初から終わりまで見たとき、ピーター・マッケナリーの持つ魅力にあらためて感動した。

私は「クレタの風車」というお子さま映画に出演していたピーター・マッケナリーの発散する性的魅力を理解していたのだろうか。

「獲物の分け前」という映画のベース、「父親の新妻と恋に落ちるひとり息子」という神話的テクストに、この英国俳優はぴったりと一致する。

もともとシェイクスピア劇団の役者ということだから、目なざしは強く演技に迫力がある。

相手役のジェーン・フォンダはこのとき、すでにアクターズでスタニスラフスキー・メソッドを習得したあとか前か・・わからないがイケイケのキュートである。

トランジスタラジオを持ってサンバを踊るシーンや、スケスケのカーテンを裸体に巻き付けてストリッパーのように踊るシーンなどは巻き戻して何回も観る。

 

恋愛を三角関係で描くことはドストエフスキーから始まったのだ、と言ったのはイワン・イリイチだが、父と息子と若い女という構図は映画の始まりから決してひとつの軸をまわっていないちぐはぐさが実にうまく描かれている。

三者それぞれのズレを三者のふとした表情や髪をかく微妙な仕草に語らせている。

 

若い女は若くはあるが、肉体が老いに向かう年齢に突入しつつあり、二十二歳の美しい男性に溺れる。

二十二歳の若者は父と継母のあいだにもつれこむ苦しい情念にあえぎながら所詮自分というものも、現実というものも過信していない。

父親を裏切れない、という律儀なしばり以上に現実的な判断、

つまり「ふたりで逃げたってうまくいきっこないさ」という冷めた目が悲しい。

そしてミシェル・ピコリ扮する父親はキョーレツである。

初めて二人の不倫を疑い、息子のベッドで妻のネックレスを見つけたときの顔、

ふたつ並んだ枕のひつとを取り上げておそるおそる自分の鼻を近づけて、匂いを嗅ぐシーン。

彼はここであらましのすべてを理解する。

そのときのすさまじい目。

戸惑い、怒り、自己憐憫

妻と自分の息子に裏切られて無惨に敗者となった彼は復讐を開始する。

彼がそうしようと思ったらもう、だれにもどうすることもできない。

徹底的に冷徹な男をピコリがさらりと演じる。

 

義理の母と息子であったふたりが、性的な関係に陥る瞬間。

はずみでもつれているうちにそうなる。

我にかえって立ち去ろうとする若者のすそに手をのばし行かせまいとする女。

沈黙が漂う。

そして一線を越える。

肉体が異なる意味を持ってしまう。

「母と息子」が「女と男」になって、嫉妬がうずまくようになり、罪悪感に責め苛まれながら

性的な関係から抜け出ようともがきながら、深くからみとられていく。

そしていよいよ行き詰まって行き止まりになるまで、三者ともが禁制にひっかかってく模様が美しい舞台装置と魅力的な背景、

ヒッピー文化やモッズスタイル、ロックンロール、東洋趣味といったものに飾られながら展開していく。

 

「獲物の分け前」がビデオ販売された当時、欲しかったが高価で変えなかった。

「バディム監督の耽美主義」というキャッチコピーがこの映画の本質をよく表している。

 

映画製作は1966年となっていて、ジェーン・フォンダ反戦活動家になる前であり「ワーク・アウト」という空前絶後のベストセラーを出版する前であり、父ヘンリー・フォンダと和解して映画共演する前のことである。

バティム監督とのあいだに生まれた娘はジェーンがなにかに立候補した選挙直前に麻薬でラリっているところを保護されるという事件を起こしている。

ロジェ・バディムとの関係が、周囲の予想を裏切らずにすぐに破綻したあと、再婚したジェーンが、新しい夫と夫のあいだにできた男の子、バディムとのあいだにできた娘の写真を雑誌で見たことがある。

ジェーン・フォンダは大きな金の輪のピアスをしてすがすがしかったが、娘だけひとり顔を道化師のように真っ白に塗っていた。

はにかんだように笑っていたが彼女ひとりだけカメラから目をそらしていた。

以来この子のことが気になっていた。

 

 

一方ピーター・マッケナリーは、ウィキペディアによればこちらが知らないだけで英国のテレビドラマなどに出演していたらしい。

このひとはゲイにちがいあるまいと思っていたら、一度目の結婚でできた娘がなんとかマッケナリーといい女優をしている。

すっかり爺さんになったマッケナリーが大きな目のまぶたが完全にたれて一重まぶたのようになり幸せな一生だったらしいにこやかな顔写真とネットでお目にかかった。

 

原題は「La Caree」はらわたという意味のフランス語である。

原作はエミール・ゾラの中編である。

ミシェル・ビコリ以外のふたりは英語圏のひとだからフランス語は母国語でないはずだ。

ジェーン・フォンダは劇中カナダ出身ということになっていて英語で歌うシーンがあるが、ピーター・マッケナリーは一貫してフランス語を喋る。

このあたりの不均衡さもこの映画に不思議な魅力を添えている。

 

 

田園調布駅の高架通路にはってあったポースターには「獲物のの分け前」と記されてたが、英語圏では「The Game Over」というタイトルだったらしい。

「ケームは終った」とか「ゲームの後」とかの邦題だったら、ミヨちゃんも付き合ってくれたかもしれない。

 

おませで知られたミヨちゃんは、同級生のなかで一番はやく亡くなった。

 

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