旅行中の食事 つづき

白木屋をめざし、アイフォンに示される地図を頼りに歩いて行くと、建物の駐車場や、建物と建物のあいだの細い路地などを通ることになり、50分ほどでようやくアラモアナ・センターへ着き、ジャパニーズ・フードコートまでは行きつけるが、どうもそこは旅チャンで見た場所のようではない。

夫だけチャンポンを食べ、私は緑茶(緑茶のティーパックとお湯で、お湯はお代わりできた。)のみ。

アラモアナ・センターをうろうろしたあと、メイシーズを出たあたりから海岸へ降りようとしたところで、偶然旅チャンで放映していたモダンなフード・コートをみつけた。

夫と海辺を散歩する。

スリランカでなじみのある南国の大きな木々をながめながら歩いたが、それが私の唯一の海辺の観光となった。

夕暮れ近い時刻。

ハワイの海辺の、穏やかな海辺で、温かくあつぼったい風に撫でられる。

ひとりカヌーを楽しむ女性、ゆるくサーフィンをする兄と弟、そしてリムジンで到着したウエディングのグループ。

親と親族と友だちに囲まれた幸福そうなカップル。

LOVE and PEACE 平和な夕暮れ。

 

帰りはバス。

バスの中にいた女性ふたり連れのひとりがどうもハワイ在住の口ぶり、

「パンケーキやわらかいのとかためとどっちがいい?」

「やわらかいのかな」

の返事に、じゃあ、と、バスを降り歩きだすふたりのあとを着けた。

たしかな情報とみた。

ふたりが入った店に続いて入って、ふたりの席の隣りに通される。

パンケーキはどれ、とメニューを指差されたもののなかからピスタチオの入ったものを注文。

ところが、やってきたのはパンケーキではない、ケーキである。

やっかいなのは、チップがいる。

ウェイターは、いかにもチップだよ、チップ!

とぐいぐいくる。

ウェィターはともかく、店内がきもちよかったので、都合三回その店へ行った。

二回目に、こんどこそパンケーキ、と思って、前にゆびさされたコーナーからパンケーキを探そうとすると、そこじゃないよ、と夫。

「だって、ここって言われたもん」

「うら日本語だよ」

!ひっくりかえしたら日本語じゃん。

早く言えよぉ。

 

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旅行中の食事

ホノルルのホテルで、むかむかと具合がわるくなり、いやいや困ったことになったぞ、と横になってじっと目をつむっていた初日。

これから4日間・・どうしよう・・

 

やめておく、と云った機内食を、夫が

「ちょっとでもたべれば?」

と眠ろうしていた私を起こし、

「やめとく」

と言っているのに

「ぜんぜんいらない?」

としつこく、結局ひとくち食べてみると案外おいしくて、少したべてしまった。

「フルーツは?」

「いらない」

「フルーツおいしそうだよ」

それもついたべてしまう。

口になかに入れたのは自分だから、夫を責めるわけにはいかないが。

 

そもそも成田から夜のフライトに乗るための総武ラインの中、

駅ナカの弁当を持ち込む夫。

「サラダならいいんじゃない、クニエはサラダ食べれば」

と言われて、つい、そうだよね、サラダくらいなら、とのってしまい、

いろとりどりで美味しそうな惣菜の並ぶショーケース越しに購入する。

サラダは野菜だが、ドレッシングは味がつよくいやな味がのこる。

夫は乗車するやいなや、自分の弁当と、私のサラダを半分平らげる。

機内では、自分用に天丼と、私のシーフードを半分以上。

 

到着した夜は、コンビニでおむすびとトリの唐揚げのミニ弁当にエビサラダを買って食べたのだが、その夜、具合がわるくなる。

そもそも今回の旅、たべものと水に注意するように、と野口整体の先生から言われている。

どうかな、と思った翌朝、意外にも元気が出てまずホテルの近所で、ハワイのポケというものを食べた。

すし飯の上に、シーフードや海藻、野菜を好きなだけのせてくれる。

一人分だけ注文し美味しかったので、ご飯をおかわりしたが、食べられなかった。

観光局のほとんどが日本人である。

若いお姉さんたちの職場の愚痴、恋愛模様などめんどくさそうな日常が聞こえてくるワイキキの通りである。

大家族のおそろいのムームー姿などを眺めながら、交通の便がいまひとつよくわからないのでうろうろしていると、

歩いてもいけるよ、35分くらい、と夫がアイフォンを道しるべにアラモアナセンターへ行ってみようということに。

途中で小雨がぱらついたり、むっと暑くなったり、しょっちゅう天気が変わる。

見知らぬ街を歩くのは、ひさしぶり。

遠く、くぐってきたアルジェやイスタンブール、ヨーロッパの景色が茫洋とわいてくる。

 

旅チャンネルで、目つきのわるーい中年女性のハワイ案内で見たフードコートに行きたいのだが、夫も私もなんという名称だったのか覚えていない。

白木屋の跡地、ということしか思い出せず、白木屋スマートフォン検索してみる。

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おみくじ

ジャパニーズ・フードコートの奥に、おみくじ屋の占いがあり、
「ラブ、ヘルシー、サクセス」と書いてある。
いとこにはそのいずれも、なかったのかもしれない。

愛も、健康も、成功も。
だから死んだのだ。

そんなふうに感じる自分は、どこかおかしい、きっと。

 

末っ子のいとこを呼び出して、1年8ヶ月の闘病の次第を聞いた。

彼女から聞こえてきたのは、おだやかに、夫、母親、いもうとたちに見守られて眠るように息を引き取った姉の最期。

そう、和解があったのだろう。

私と父のあいだにはなかったが。

日本一の緩和ケア病棟に2ヶ月、そこが家族の憩いの場となっていたそうだ。

 

彼女が前の結婚で残したひとり息子が、いまどんな気持ちで母親の死と向き合っているか、とか、

これからたったひとりで息子はどうしていくのか、とか、

そのことはだれも語らないが。

たとえ気にしていたとしてもなにができるのか?

 

あかるく、前向きで元気な末っ子のどこにも、偽りはなく、

こころの丈夫さと、身体の健康さがある、ように見える。

だから、私のバイヤスがゆがんでいる、とことんゆがんでいる、ということなのだろう。

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メール

昨日の朝、COUCOUからのラインを受け、お寿司を買って、COUCOUの滞在する部屋に出かけて行く。

昨年7月に出産した娘と日本に帰ってきている。

エアフラの仕事をしたので、航空券が手に入り、ついでに旅行中の友だちがいるので部屋が使える、とのことである。

このこは、いつもぎりぎりに連絡してくるので、とうとう旅行当日の昼しか選択肢がなかった。

 

広尾には、生後8ヶ月で亡くなった長男がしばらく入院していた乳幼児集中治療室がある。

入院中、授乳時間と授乳時間のあいだの数時間、私は歌のレッスンをすることにした、その音楽教室の看板がまだある。

健常の子を産んだCOUCOUに、そんなことはいわないけど。

悲しい思い出に胸を詰まらせる夫や娘にもいわないけど。

 

午前中だけで会社を退けてきた夫を待ってお寿司をたべ、桜餅をたべ、人見知りの始まったばかりのCOUCOUの子どもは、ついに私に抱かされなかったが、あたたかな昼下がりみんなで外に出たところ、メールに着信があり、ひらくと。

姉の死を知らせるいとこからのメール。

 

アイフォンを床に落として、ぺたんと座り込んでしまう。

手を取って起こそうとする夫の目。

娘のやや遠慮がちな肩を抱こうとする手。

 

昨日葬儀すべてを終わらせました、とある。

本人の希望で家族だけ、と。

 

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ホノルルへ

満席の機内、ほぼ日本人。

小さな子ども連れ、新生児のような赤ちゃん連れの若い夫婦や家族総出のハワイ旅行。

飛行時間は6時間50分。

後ろの座席から、男女の話し声が切れ目なくつづく。

女性の話し方が、さりげなくて穏やか、すらすらと相手の話しに合わせている。

どういう関係なの?

・・と背後の会話に聞き耳を立てている。

 

町田とか、武蔵なんとかとか、京王線苦手なんすよ〜

あ、それわかる。

 

週一で、メーカーとのミーティングがあるんで、新宿行っているんですけど、朝の新宿ってすごいじゃないですか、それだけで疲労感ハンパないっていうか。

だよね、あれすごいよね。

 

などなど。

朝の新宿駅のすごさは知っている。

なんだろう、あのものすごい量のニンゲンたちが、縦横無尽に行き交う。

「空気を読み、スピードを合わせる」ことでしか通過できない。

腰の状態がよくないときは、よくひとにぶつけられた、というか避けることができなかったのだ。

 

飲み物サービスでアルコールが運ばれると、男性の口調がややあまったるくなり、女性のほうはやや早口になる。

 

わたし結婚しているのよ。

「・・」

もう7年

「・・そうなんだ・・」

という会話もあり、このふたりの関係がますます気になる。

 

久しぶりの海外旅行で、しかも土壇場まで決まりきれずにいた。

航空券はすぐに売り切れになるから、航空券だけでも押さえたおいたほうがいい、と旅行代理店からのアドバイスをもらい、ネットで予約した。

クレジットで払い込むところで番号を確認したすきに、羽田便がだれかに取られてしまい、成田便もぎりぎり。

そんな慌てた予約で、つい「通路側」を忘れていた。

エコノミー・クラスの三列席、窓際にわたし、まんなかに夫、通路側の女子は、私がトイレに行きたくて立ち上がり、すみません、と頭を下げると顔を歪める。

イヤフォンとアイフォンの二本のコードを、おもいっきりのろのろ外し、なかなかどいてくれないのである。

昔、娘が小学生のころエコノミーの同じ席順で海外旅行へ行き、娘がトイレに立つと、通路側のフランス人女性は立ち上がり、露骨にいやな顔をしてみせたが、この女子は、席は立たず、膝をななめにして通すこともしてくれない。

「子どもかと思ったら、飲み物サービスでワインとビールを頼んでた」

と夫も隣の女子に興味をもってながめていたようだ。

フライト中、彼女はただの一度もトイレに立たなかった。

 

ホノルルに着くと、1日もどって昨日の朝9時だ。

昨日の朝9時、私は娘を起こそうか、と迷い、

会いに行く予定になっているCOUCOUからのラインの返事を待ってからにしよう、とアイフォンの画面をながめ、前夜遅くまで仕事だった娘をまだ起こさないことにした。

 

あのときに戻れたら、

まだいとこの死を知らず。

 

前日の指導考察を終え、娘を起こしてCOUCOUに会いに行く、そして夜行便でハワイ!

と、もうひとふんばりの感じだったのだ。

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ひな祭りイベント

保育園の春のイベントに行ってきた。

去年から、このイベントには着物ででかけている。

子どもたちが、きらびやかな着物で舞台の上に設えた段でおひなさまになるので、

あやかって私も和装で行く。

もう歳をとっているので、

「なにあのひと!目立ちたがりや〜」

とか

「なんで着物なんか着てくるワケ?」

などと言われない、と思う。

白髪まんまの婆さんで、もう64歳だ、好きにさせて。

 

今年はネットのリサイクルで購入した¥18000の草木染めに、それよりは少し高価なリサイクル帯を締めていくと、去年は反応のなかった方たちから

「せんせいステキ」などと言ってもらえる。

春だから、色のうすいもののほうが、きれいにみえる。

去年は、結城紬で行った。

 

子どもたちの演目はなかなか見ごたえがあって、もう少しあっさりでもいいような気もするが、子どもひとりひとりのおめかしした姿、いつものホールでとはちがう表情や表現に拍手、拍手!

 

そして楽しみなのは、もう卒園しているのだが、弟や妹が在園しているので、親と一緒に見にきている子どもたちと会うこと。

小学校も高学年となるとめったに来ないが、去年卒園した子やおととし卒園した子が来ていて、あまり大きくなってない子や、りっぱになってよく考えて見ないとだれだか思い出せない子など。

会場をジロジロ、ジロジロながめまわしている。

女の子たちは、あーと言ってタッチしにくるが、男子は無視。

さんざん無視していたのに、最後にニカニカわらって近づいてきたR平くん。

タッチしにきてくれた。

一昨年卒園してひょろひょろ伸びたタツは、二歳児のときからカレンダーが読めた。

次のリズムは、つぎのつぎの週です、と言うと○月◯日と言うので驚いた。

ただし、みんなと一緒になにかをする、というのは苦手でぽつんとしていた。

背が高くなって、上等なカメラを持ってうろうろしている。

へぇーっこんなに成長したのかー

「すげえ!」と思って見ている。

近くでしゃがんでいるタツの髪の毛をくしゃくしゃとしたら、すっとまっすぐに私を見て、しばらくぽかんとしてから、生え変わった大きな歯を見せてわらい、あーっ、まりせんせい!と言ってくれた。

弟が、今年卒園する。

だれも在園しなければ、だれも来なくなる。

通過していく。

成長して、そして忘れる。

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地デジ

地デジで見るのは「YOUはなにしにニッポンへ」「探偵!ナイトスクープ」「家、ついて行ってイイですか?」と決まっている。

実は、爆笑問題の「ザ・フライデー」もこっそり。

ザ・フライデー」も捨てたもんじゃない、三島由紀夫の特集などあり、知らなかった三島未亡人のドキュメント映像が見れたし。

どれも録画しておいて、CMは飛ばす。

 

最後に見た「家、ついて行ってイイですか?」のなかの母と子が胸にのこってしまい、いまだちょっと息苦しい。

突然の父親の死、自死であるが、実は他殺であってもおかしくない、という秘密情報に関係のある官僚であった。

子どもたちは、海外の学校を転々とし、母はエリート官僚の妻として生きてきた生活が、夫の死によって一変する。

 

母親の口調は、私の周りには存在しない上流のかたたちの話す日本語。

「さ」行が響く。

子どもの話す日本語はへん。

外交官を外交員というのも。

パリで生まれパリで育った知り合いの息子・もうおじさんだけど・Keiの日本語を思い出す。

こちらの会話にことばを返事すとき、頭の中で大至急変換するため、きょとんとした目の一瞬の間があり、直後にいきなりの日本語が弾丸のように飛んでくる。

名刺が間違っていたり、助詞がへんてこだったり、でも速いのだ。

ことばというのは、むずかしいものだ。

たとえば、Keiは初対面のひとに、「よろしくお願いします」というものと信じているのだが、そこは「よろしくお願いします」はへんでしょ、とか。

完全に日本人の顔をしてへんな日本語を話すひとの苦悩。

 

上流の奥さんの、突然夫を自死で失ったひとの苦悩。

まだ、なにもわからない、ただ毎日生きているのに必死、というのが正直に響く。

娘が、ずっと母親の手を握っているのも泣ける。

娘がじつは、LGBTだ、と、ほんとうのわたしを知らないでお父さんが死んだのは無念だ、と。

 

表面的に見ているだけではわからない、ひとびとの内実が、この番組を観るとつくづくみんないろいろだなあ、とみんなたいへんだなあ、の二点に帰結するのである。

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