乱読

連休中に「林芙美子展」へ行って、その気になって図書館から借りてきた林芙美子の「放浪記」と「戦場」昭和16年ころの満州紀行の本。

林芙美子はだいすきな作家で、一時全集を借りてきて読み漁った。

こんなにおもしろいのに評価が低いように思っていた。

女性だからだろう、とも彼女の経歴にも関わりがあるのかもしれない、とも思っていた。

しかしいまや世田谷文学館へ行くと、林芙美子の研究者やファンがたくさんいることがわかる。

 

吾妻ひでおの「逃亡日記」

これはマンガとトークと妙な写真・・黒服のゴスロリ美少女といかにもアル中あがりの中年漫画家が、かつて漫画家がホームレスをしていた公園で撮ったよくわからない写真・・ふざけているのかシリアスなのかよくわからない本。

吾妻ひでおという漫画家をしらなかったわたしは、おそるおそるこの本を中古で買って、読み始めた。

おそるおそる、というか疑って読み出したため、頭に入っていなかったので、二度読みする。

ここまではベッドで枕に頭をくっつけて横向きに読む。

 

同時にハートネットでたまたま観た松本ハウスの「統合失調症がやってきた」 と、エムケ「憎しみに抗って」・・期限内に読めず、ついに自腹を切って新書を購入・・

は、身体を横にしては読めない。

頭をたてにしないと読めない。

集中して考えないと先にすすめない。

ハウス加賀谷のストーリーは興味深い。

浦河べてるの家の本を読んでいるので、統失のことは少しは知っているつもりだが、こうして当事者の子ども時代からの話しを聞くと、子どものこころというのはたいへんなものだ、と思う。

子どもだから、と無理をさせたり無頓着だったりしがちだが、子のほうは親に合わせて、うんと無理をしていることがあるのだ、こころが全壊するほどまで。

自分の子が心配になる。

 

映画は「グランド・フィナーレ

去年WOWOWに加入したときに録画したもの。

ジェーン・フォンダが、すごい汚れ役で出ていたのを思い出して、もう一度ちゃんと観たくなった。

はじめこのいわくありげな老女優がまさかジェーン・フォンダとは思わなかった。

え?

と映画のサイトをチェックして初めて知った。

マイケル・ケインとハーヴエイ・カイテル主演。

豪華なスイスの保養施設が舞台。

なんとなくいやな味が残る理由を考える。

この映画はミソロジーだ、と思う。

女性の描き方が歪んでいる。

 

最新のジェーン・フォンダが見たくなったのは、何年も前の6月、自己ブログで「獲物の分け前」の感想を書いたのを久しぶりに読んだから。

6月のブログをまとめて読んでいた。

「獲物の分け前」は、若かりし頃のフォンダ主演のフランス映画である。

何年も前の6月に、その話しを友だちにしたら、わざわざDV Dを借りてみちゃったよ、と言っていた。

感想は言わなかったから、おもしろく観たのかどうか、

もうこの世の人でなくなってしまったから、確かめるすべはない。

 

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 クレヨン・ハウスのフェミニズムコーナー。

朝はやく行ったら、絵本コーナーの職員が掃除に参加しない、と他のスタッフに文句を言われていた。絵本コーナーにあるまじき険悪さだった。

 

友だちと約束して、会い、ランチとお茶をすると12時前に待ち合わせをしても、別れるのは夕方だった。

同じ店に家族と行っても、あっというまに食事が終わり、お茶もさっさと飲み終わってしまうのに、彼女と一緒だといつまでもいつまでも話しが尽きない。

当時は、犬が二頭いて夕飯を待っているから、腕時計を見てそろそろ、と立ち上がるのはわたしであった。

同級生どうしの話しから、中高時代の思い出や、それぞれの抱えるなやみ、互いに文芸部だったので本の話しもして、濃い時間になり、分かれた翌日くらいには間髪いれず手紙が届いたものだ。

 

ただ、話しが政治に及ぶと、いっきに反動的な色をつよめた。

人種差別はいけない、という良識は当然あるはずのひとだったが、日本の未来を憂う彼女は、一定の外国人がこの国に入り込んできている、と声をつよめた。

メディアにも、政治にも侵入して画策している、と妄想のようなこという。

当然自分以外のだれもが同じ意見のはずだ、というスタンスで、だれだってわかってるよ、と言ったあと、

「ねえ」

と相槌をもとめた。

この「ねえ」は、よくおばさんたちがあまり自信のないことを言うとき、たびひたび出る「ねえ」である。

当然と思っているが、その証明ができないため「ねえ」と相槌をもとめるのだ。

 

いつからか会うたびに、目を釣り上げて外国人を叩き、国を憂う彼女をみるのがいやになった。

熱のこもった怒りの感情がどこからうまれてくるのか理解できなかった。

裕福な家に嫁ぎ、自分では決して生活にこまらない身分のひとが、生保受給者をたたく怒りが理解できない。

一方で、夜中のバスに揺られて震災の炊き出しに行ったり、病気の子どもたちへのボランティアに自から出資して行ったりもしていた。

 

わたしには、ばらばらにみえる、困ったひとたちを助ける活動と、日本にいる一定の外国人を叩き、生保受給者はなまけものの不正受給者、と怒りで顔を青くする彼女は、自身に矛盾はなかったのだろう。

根っこは「憂い」なのか。

 

カロリン・エムケの「憎しみに抗って」という本を読んで、やっと納得ができた。

もちろん、友だちはヘイト・スピーチに参加して声をあげるようなことはなかったろうから、違う話しだ、といえば違う話しなのだが。

憎しみの感情のメカニズムがわかりやすく、そしてたいへん悲惨に紐解かれている。

 

「人種差別に走りやすいひとは、否定的な体験を通して自己形成しているひと。

制約や障害が多い環境のなかで、受け身で適応していかざるを得なかった無力感があるひと」

 

彼女が幼少期から女の子だから、という理由で毎朝玄関掃除をさせられていた、と聞いたのは、いつだったか。

子ども心に、なぜ自分には日曜日がないのだろう、と思ってたよ、と悲しそうな目で言った。

若くして恋愛をして、地域の資産家に嫁いだ。

結婚に、母親は反対だった、という。

長男の嫁として、大姑、舅、姑を看取り、子育てをし、大家族の食卓、月に一度の会合の食卓を担ってきた。

あるとき、月に一度家を訪れるお坊さんが、彼女の歩き方を見て、お嫁さんをこんなふうに扱ってはいけない、と舅に言ってくれた、と言う。

廊下をまっすぐ歩けなくなっていた、と。

家の外に初めて出かけたのは、長男の幼稚園の保護者会だった、と。

お盆や正月は、舅姑の過ごす伊豆の別荘での掃除とまかない。

奴隷じゃん、と思った。

 

女であることで、ここまで使われるのか、と空恐ろしいような話である。

これもまたドメスティック・バイオレンスの一形態ではないか。

私はすきでやってるの、と言ったとしても、

彼女の家事自慢、料理自慢はさりげなく語られるものだったが、

 

彼女が家を出て、隷属状態から自分を解放させることができたのか?

できなかったのだ。

 

怒りはさまざまなものに放射された。

ベビーカーで外出するママがにくい。

夫に子どもをだっこさせて、手ぶらで歩くママがにくい、

外国籍のひとたちがにくい、

生保対象者がにくい、

 

怒りと憎しみは、対象を選ばない、とエムケは書く。

それがユダヤ人であれ、黒人であれ、同性愛者であれ、歴史は時代ごとに対象を変えてきた。

その社会で弱者として目立つものであれば、いつだって選択されうるのだ。

 

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リュウイチ・サカモトの時代

テレビをつけると、「ファミリーヒストリー」という番組をやっている。

娘がこれやだ、と言うが、老いたサカモトに興味を持って、そのまま観た。

 

かれの家族史はなる「ほるほど」というものだったが、

私の気持ちは、イエロー・マジックが一斉を風靡したときの、そのころ勤めていた職場のこと、というか職場のひとたちとの人間関係に移行した。

かれらの反応は一斉に「ナニコレ」だった。

キモいという言語は登場していなかったが、もしあれば「キモい」と言っただろう。

三人の音楽は、これまでにない新しいものだったが、三人ともべつに美形でない、ということもあったろう。

ジャニーズ系華やかなときでもあった。

高卒で働かなくてはならないひとたちの、下町の階層の一般的な反応、といえなくもない。

サカモトの連れ合いの高音域で歌う女性に対しては「ぶす」とわらった。

忌野清志郎と教授サカモトのCMソング「い・け・な・い ルージュマジック」が「夜のヒットスタジオ」で紹介されて、女装したふたりのキス・シーンが大写しに映ったとき、

どきどきした。

「わたし」がどう思うのか、より、観ている職場の女性たちがどう思うか、気になった。

「ゲー」とか「ゲロゲロ」とかいじわるなことばを翌日聞くだろう、と苦痛だった。 

他人がどう感じ、どういう感想を持つのか、ということが。

必要以上に、イエロー・マジックをもちあげて、宣伝する「わたし」の意図するのはなんだったのか。

「革命」?

 

そのころ、わたしは組合をやめた。

もともと組合の側からはカウントされていない、「あんなばか」とかいわれていたにちがいない。

新・旧の左翼からきらわれていた、「きらわれていた」というのも自意識過剰にすぎるかもしれない、相手にされない、というのが正確なところだろう。

それで、替わりに職場の女性たち、高卒で、集まっては他人のわるぐちを言い、週末まで集っては食べたり飲んだりする、そういう当時の職場の「多数派」に積極的に参加することにした。

同僚のスキャンダルや芸能人のニュース。

保守ともいえない、たれながしの情報をそのまま飲み込んでいるひとたち。

いたましいことに、彼女がわたしに向けたのはイジメのようなものだったが。

そのことに気がつくまでに時間がかかったが。

じぶんではかっこいいことを言っていた。

組合をやめて「ふつうの」ひとたちとの付き合いを大切にした、とかなんとか。

 

あれは一体なんだったのか。

ボス的なひとはいた。

年中酔っ払っていて、弱いものに怒り向けるタイプのひと。

彼女は、幼少期に母親が奔走し、船員であった父親とのふたり世帯となったが、その父親も亡くなってしまったあと、叔母一家に預けられた。

その集団では、わたしを含めて片親の家庭の子が三人、両親ともそろっているが兄の暴力があったひと、中心はこの四人だったかもしれない。

わたしの役割は、なんだったのだか、と老教授サカモトを観てあらためて思う。

 

当時、親しいともいえないが、密着はしていた同い年の組合活動家がいて、彼女と教授が同じ高校だった。

すでに高校で活動していた彼女に興味を持って、かれが近づいてきたのだが、校門で母親が待ち受けていた、と。

わかくてきれいな、組合の活動家、「新」のほうの、

彼女は一時期スターのように、組合集会の壇上でとうとうとマイクを持った。

オヤジからのヤジに、冷静に応酬していた白い顔。

彼女も早々に活動を下りて、早く仕事をやめた。

たまに会うと、昔と同じ左翼の口調になる。

 

にたものどうし。

なにかになったり、どこかに参加していないと、弱くて立ってられないものどうし。

 

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こころたび

たまたまこころ旅の手紙を読む場面に出くわし、苦しくなる。

最近は、つづきは夜とかになっているのか、

午後7時から後半依頼された場所に到着するというので、もっと泣くことになるといやだな、と思いながら録画しておいた。

 

その手紙には、戦後九歳だった女性が、ついに自転車に乗れないまま八十になってしまった、とのこと。

父親に頼んだが自転車は買ってくれず、そんなに乗りたかったら俺の自転車に乗れるようになってからにしろ、といかにも父親の言いそうなことを言ってついに彼女は人生で自転車に乗る機会を逸してしまった。

親から、タイミングをはぐらかされて人生に大きな損失をもたらすことがあるよい例である。

 

手紙は、毎朝、徒歩で通学する彼女の脇を、自転車通学のひとたちが追い越していくのだが、いつも一番最後に自転車で過ぎていく女の子がいて、その子が乗っていたのは父親のものだったのだろう、大きなくろい自転車であった。

小さな身体で、大きな男物の自転車を漕ぐ姿が左右に揺れて、お尻をサドルにこするように乗っている姿が滑稽で、ああ、あの姿が自分でなくてよかった、と胸をなでおろした、というから、

女の子はさぞかし髪振り乱し、必死のようすで通学路を走っていたのだろう。

 

一年ほどして、しばらく姿を見ないと思っていたら、中学校の合同斎で、当時めずらしくなかった結核で亡くなった子ども遺影のひとりがその女の子だった、と言う。

「一年ほど、姿を見なくなって」というあたりから、かなしい結末の予想があったが、

すっかり参ってしまった。

 

いつも必死で、先に走る同級生に遅れまいと、小さな身体でおとなの自転車を漕ぎ、追い越すときの顔はいつも上気したてれくさそうん笑顔だった。

そして一年後に体育館の葬儀で発見した遺影のなかでも、やはり微笑んでいただろう。

なんとかなしい。

 

だから、もう後半観ないでおこう、とも思ったが、観てしまった。

 

元中学校舎のあった、いまは修道院から、加藤神社という亡くなった女の子が住んでいたという場所までが、こころ旅の経路である。

火野正平は、自意識と不器用さがおっかなくてなかなか落ち着いて観ることができないのだが、このときもかわいそうで不憫な女の子のことを上手に語れず、

山坂はなかったけど、遠かったよ、

こんな遠い道まいにち通ってたんやな、

とぽつんといっただけ。

 

この話の内容は、映像が浮かんでくるようなすばらしい手紙の文章に持ってかれて、後半は観なくてもおなじ。

 

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「忘れられた巨人」

とうとうおもしろい、と思えないまま「忘れられた巨人」が終わってしまった。

おもしろいよ、すぐによめるよ、と言う夫のことばを真に受けて、そういう読み物が必要なときのために取っておいた。

そういう読み物が必要なときとは、

力がなく、

根気がなく、

むこうからもひっぱってくれないと読み進めない、というとき。

 

まず「お姫様」と年老いた妻をよびかける年老いた夫。

「お姫様」ってなんて言ってるの、と夫に尋ねる。

英語版で「princess」となっている、という。

マイ・プリンセスではなくて?

と聞くと

ちがうという。

大文字?

ときくと

小文字、という。

なにか英文の脈絡があるのだろうが、こちらにはわからない。

自分の妻を「お姫様」と呼ぶ夫、

「お姫様」としか呼ばない夫が気に触る。

子供扱い?

おだててるつもり?

違和感をうまく説明できないが。

 

カズオ・イシグロのテーマには「記憶」が重要な位置を占めている、と思う。

「わたしを離さないで」でも「日の名残り」でも。

でも、この「巨人」では、記憶そのものが陰謀によりひとびとから失われ、記憶が定かでない意識を生きている、というなんとも具合のわるい、設定である。

ひとびとの会話も、かみあっていない。

かみあわない会話、現実世界では会話はかみあわないのがふつう、といえるかもしれないが、かみあわない会話を活字で読まされることの苦痛。

かんべんしてよ、と言いたくなる。

 

何年か後に自分の感想を恥ずかしく思う日がくるのかもしれないが、いまは「なんだこりゃ」とノーベル文学賞受賞者の小説にけちをつける。

 

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落し物

臨港バス神名営業所は、京浜第一国道のわきを入ったところにあり、

愛想のよい女性の電話対応にほっとしたときに胸に描いた「営業所」とは大きくかけ離れている。

そこは広いバスの操車場で、運転手さんたちがバスを洗ったり、タバコをふかして休憩したりしている。

操車場奥の営業所は老朽化しているとはいえ建物は自動扉である。

あらかじめ聞いておいた落し物番号を言うと、対応してくれた男性職員が認印が必要だという。

電話で教えてくれればよいのに、とも思うが、なにしろいったんは諦めたサングラスが戻ってきたのだ、うるさいことは言わずにおこう。

 

三ツ池公園からの帰りのバスが臨港バスだったか、市営バスだったかわからない。

二転三転して乗り込んだバスである。

ただ、降りたのが川崎駅西口だ、ということははっきりしていた。

夫が、それは臨港バスしかない、という。

乗ったのは、寺尾中学だろう、乗車時刻は、14時8分か14時23分にちがいない、というところまで調べてくれた。

私のほうは、バスに乗ってむしあつく、メガネをむしりとった記憶がはっきりしてきて、バスのなかで落とした、と確信した。

 

落し物は、各営業所に連絡するようにホームページには書いてある。

実は、当日鶴見営業所に電話したが、川崎で降りるバスはない、市営バスではないか、と、いまから思えば完全に間違ったことを言われて、市営バスだったらあきらめだ、と感じた。

助かった。

失くしたと思ったものが出てくるしあわせ。

 

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お花見

昨年、池上の桜を見に行ったものの、桜はまったく咲いていないし、誘っておいて1時までです、と早めの終了時間を知らせてくる友だちと、

今年の花見の場所を鶴見と決めた。

その友だちとは長いつきあいになるのだが、話しがぽんぽん弾むという間柄ではない。

自然にすいすい話しが続くこともあるにはあるが、とぎれとぎれの話しにやや間のもたない気持ちになることも多い。

それでも、ずいぶん長いつきあいになるこのひとが、だいたいすきである。

 

三ツ池公園に行った。

バスにようやく乗ったものの、降りるべき停留所を乗り越してしまったらしく、

え?ときょろきょろしはじめてから、反対車線に「三ツ池公園→」の看板がみえた。

友だちにそれを言っても、なかなか降りようという決断ができず、もうひと停留所くらい乗り続ける。

 

ようやく三ツ池公園に到着し、池の縁に座って彼女の用意してきてくれたコーヒーを小さな魔法瓶から小さな紙コップに注いでもらって飲み、池をながめて一息つく。

大きな池にやわらかな水面がひろがる。

初夏のような暑い日で、風が強く、まだ散っていない桜の花びらをざざーっと舞い上がらせる。

しばらく公園を歩いて、正面口を探すが、西へ行こうする彼女に対して「正面」といえば東だろう、と思うが、三ツ池公園初心者は再訪の彼女に従うことになる。

途中の看板地図でやはり正面口でないことがわかる。

回れ右をして、元来た道を下っていくとき、不思議な感覚がおこる。

すいっと腰の位置が上がり、景色がべつなものに見える。

山肌に立つ木々が、つよい風に揺れて、こちらめがけて倒れかかってくる。

 

南口から出て、バス停まで急な坂道を登る。

ベビーカーを押す若い父親の背中を見ながら、おっかない。

もし何かの拍子に手を離したら、ベビーはカーもろとも転落するのだ。

母親はへいきで、手ぶらで離れたところを歩いている。

 

バス通りに出て、県立鶴見高校の前のバス停の時刻表を見ると、なんと14時から16時まで空白。

むこうからやってきた学生風のひとに別のバス停をたずね、またそこまで歩くと、乗客が列を作って待っている。

日差しが強いので、マスクとサングラス。

バス通り沿いの家と家のあいだの傾斜のある道の日影に、みなさん一列になってバスを待つ。

 

友だちと別れて、私鉄に乗ってサングラスがないことに気づく。

ものを落としたときのいやあな気持ち。

帰宅してばたばたと眼鏡屋の電話番号を調べ電話したが留守電。

つぶれたかも?

1日強い風と光にさらされて、坂道を歩き回った疲れもあるし、落ち着いてからにしよう、と思う。

 

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