クローデル展

ちょっと無理矢理、開館時間ジャストに着くように家を出た。

 

今年二度目の神奈川近代文学館

かつて、図書館司書の資格を取るための講習で知り合った、当時まだ大学生だった女の子は、どうしても近代文学館に勤めたくて、夏休み中アルバイトをして自己アピールをしたそうで、努力叶って倍率をくぐり一発合格。

私のほうはせっかく取得した司書資格を活かす前に、図書館を退職し、退職したあとしばらく文通したり、たまに会ったりしていたが、どうもむこうはしぶしぶだったような。

その彼女も、いまごろはもう退職しているだろう。

 

私が文学館に足を踏み入れたのは、一昨年前の宇野千代展のときが初めて、それまで行きたいと思っても、とうとう行かなかったのは、なんとなく彼女のことがあったからかもしれない。

意味不明な心理だが、わたしはそうなのだった。

 

次が今年四月の与謝野晶子、そして今回が三度目のポール・クローデルである。

寒い日曜日であった。

朝九時、アメリカ山公園にはひとけがなく、文学館も閑散としている。

ポール・クローデルの膨大な仕事。

写真も多いし、文字も多いし、

 

入り口に、カミーユが作った弟の胸像があり、ブロンズのひんやりとした輝きの奥に、カミーユの弟に対する愛を感じる。

カミーユが悲しい。

ポールの上に終生姉の悲しみがあったのではなかったか。

 

カミーユ・クローデルの映画。

あの女優さんだれだっけ、ロダン役のあのひと、最近ロシアに亡命したひとの名前・・、夫と頭をひねるが出てこない。

なるべくアイフォンを使わず、脳細胞を駆使してみるが、とうとうイザベル・アジャーニジェラール・ドパルデューも記憶の表面に浮いてこなかった。

そのころ親しかった友人の勧めだったか、イザベル・アジャーニカミーユを演じる映画をそのころのVHSで見た。

最後にカミーユの実際の手紙の文面が流れる。

どこも異常のないようにみえる手紙の末尾に、いきなりロダンが自分の作品を盗んだ、ロダンは悪い奴だ、と読み上げられる、と、

ああこのひとは病んでるんだ、とぞっとした。

でも、わからない、ほんとうのところ、ロダンカミーユの作品を盗み、愛人関係にあり、助手を務めていた女性を、

「ただのあたまのおかしいおんな、事実無根!」

と発信すれば、世間はもちろんそっちを信じただろう。

ME TOO運動のいまでも、なかなか難しいかもしれない。

 

夫のアルジェリア勤務時代、日本はバブルでパリでもどこでも日本人がいっぱいいた。

ひとりで地図を持ってロダン美術館まで行ったとき、大柄な身なりのよいアメリカ人の男から「ジャップ」とつぶやかれた。

かたわらに、同じく身なりのよい大柄な妻がいて、そちらもこわばった顔をしていた。

大柄で身なりの良い、裕福な白人。

 

え?

まさか・・私が日本の教科書で習った平等な世界が、歪む瞬間であった。

そして、私はロダンの作品から漂う男権主義がとてもいやで、ロダン美術館のなかに展示されていたカミーユの作品にほっと息をついたのであった。

 

「象はわすれない」というアガサ・クリスティーのポワロシリーズのなかに、母親が電気ショックや冷水風呂の精神療法(療法って?)によって、精神を病み亡くなった、と医師を冷水風呂に溺れさせて報復するシーンが出てきて、カミーユもこんなことされてたのかもしれない、と酷い気持ちになった。

クリスティーがいつの時代を背景にして書いたものかわからないが。

クリスティーのほうが、カミーユ・クローデルより26歳ほど若いし、長生きしたから33年遅く亡くなっている。

アガサも、カミーユのように母親から愛を受けなかった。

 

ポール・クローデルが、自分の国に帰国して、原爆投下を知ったときの衝撃と、日本への心配が書かれた手紙が、彼の残したたくさんの詩作、戯曲、手紙の展示の最後、出口付近にあり、読みながら、今回の震災と原発事故のあと日本に帰化したドナルド・キーンのことを思った。

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こんなとき、パパがいたらなぁ、という思いがためいきのようにわいてくる。

感情を昂ぶらせ、荒らげ、根にもってじくじくとうらみ、そんないりくんだ親子関係だったが、どん底のときに頼るのは父だった。

 

スリランカ在住のころ、雇われていた日本企業に倒産の噂がたち、自分たち家族が寄って立つところは、実のところその企業であり、

そこが倒れると、事務所も家も、現地スタッフも、家のなかで立ち働いてくれている現地の雇われさんも、みんな失うことになる、という恐怖、

昨日まで「マダム」と呼ばれていた立場がうしなわれ、ひょっとすると逆転するかもしけない。

果たして、倒産した会社がどこまで派遣された社員の面倒を見てくれるのか、怪しいものである。

 

日本に一時帰国し、名古屋から東京デズニー・ランドにあそびにきていたコロンボ時代の友人親子と一緒に父からランチをご馳走してもらったことがあった。

遊びまわるなかよしの娘たちに焼肉をジュージュー焼いてくれて、

「ほら、たべろ、すきなだけたべろ」

と言う父に、

「ねえ、大丈夫かしら、会社が倒産したらどうなるの?」

と、不安をもらすと、うすわらいして

「大丈夫」

と言う。

「どうして?倒れるかもしれないって、言ってるよ」

「大丈夫!」

とうすわらいのまま確信をもって、言う父であった。

 

結局会社はなんとか持ち直して、少なくともいまもって倒産はしていない。

「だからいったろ」

オレの言ったとおりだろ、と生きていれば、父は言っただろう。

 

あとになって、名古屋の友人から、

ほんとうにうらやましい、と言われた。

「あんなふうに、自分の不安をお父さんに言えるなんて」

と。

 

父は、残念ながら関係が最悪で、法事で会ってもろくに口も効かない、というころ倒れ、意識不明のまま亡くなったので、

「昏睡状態の人と対話する」

というアーノルド・ミンデルのプロセス・ワークの方法で、13ヶ月のあいだ対話を繰り返したが、それはもう証明のしようがない。

父とわたしがコミュニケーションできていたのか。

たとえ、わたしに確信があっても。

証明できる範囲では、親子断絶した状態で倒れた、というところまでだ。

 

いまだ憎々しく思い出すこともあるし、ふっとあたたかい思い出に浸ることもあり、感情の対極ははなればなれ、歩み寄ることはない。

 

でも、こんなふうに帰路に立たされたとき、父が生きていたら、頼っていただろうな、と思う。

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ついに六月

いやな季節。

先週末は、アガサ・クリスティーばりの怪事件にテレビに釘付けとなり、いけないいけないと思いつつ、週末をはさむと展開が遅くなるので、金曜日中に犯人が特定できないものか、とじりじりした。

クリスティーものだと、たいてい最も犯人らしくないひとが犯人だから、五十五歳年の離れた妻が犯人だとしたらつまらない。

しかし、アイフォンからなにを聴いているのか、イヤホンを垂らし、長い髪にブランドのロゴの入った大きな紙袋を肩から下げて、報道陣のフラッシュをくぐりぬけるふとい根性の若い女性がいやである。

エムケを読み、コーツを読んで自らの感性に疑問符を投じるわたしも所詮おばさんである。

わかいおんなに容赦ない。

被害者である老人に同情があるわけではない。

ゆいいつ同情するのは、愛犬のイブちゃんである。

犬の可愛がり方も、ずいぶんとだらしない。

イブちゃんの寝そべるテーブルは雑然としていて犬を飼う上で注意しなくてはならないものが置いてある。

 

週明けで、進展があるかと楽しみにしていたら、新幹線内でまたテロのようなことが起こった。

痛ましい。

加害者の父に謝らせているのはありえない。

しばらく加害者の親へのインタビューがない、なにか規制が設けられたのかと思っていたら、またやってる。

 

秋葉原の事件や池田小の事件のことを報道するのはやめてほしい。

しばらくテレビを観ないことにしよう、となんども挫折することを思う。

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ロイヤル・ウェディング

朝、ふとんのなかでへんな頭痛がする。

後頭部の皮膚がひっぱられるような痛み。

初めての感覚に怯えて、家族を呼び、あたまに手を当ててもらう。

 

肩がひどく凝っている。

肩こりが原因かもしれない、と娘がネットでしらべてくれる。

 

そういえば、BBCメーガン・マークルさんとハリー王子のウェディングシーンを長時間観てしまった。

かなりの時間、目をこらして画面にはりついた。

そのせいかもしれない。

そろそろテレビを観るにも老眼鏡が必要になっている。

 

ちょっと恥ずかしい。

 

昔の職場に十歳以上年うえの友人がいた。

彼女は安保闘争の時代の元活動家で、フェミニスト、といえばいえたかもしれない。

「ザ・フェミニスト上野千鶴子小倉千加子によれば、結婚しているおんなはフェミニストとはいえないそうだから、彼女はフェミニストといえるかもしれない。

結婚もしなかったし、子どももいなかった。

なよなよと媚びるおんなに対しては容赦なかった。

 

その彼女が、週末ロイヤル・ウェディングをずっと観ていた、というのを聞いて、絶句したことを思い出す。

そのウェディングとは、ハリー王子の母、ダイアナさんの結婚式である。

私には、英国王室の結婚式を観るなど思いもよらなかった。

私の顔を見て「ミーハーだからさ」はははは、と大口をあけてわらった。

私のおどろいた顔がおかしかったのか、普段おとこと結婚なんてふん、と言っている自分への自虐か。

 

メーガンさんという黒人の血の入っているひととハリー王子の結婚を、英国王室が受け入れた。

ラードで、平民であり、バツイチである彼女の堂々たるふるまい。

一点のくもりもないような彼女を、どこからから狙撃犯がねらっているのではないか、

華麗な純白のウェディング・ドレスが血塗られたものになるのではないか、

画面を観ていてへんに緊張した。

こわくて背中がぞくぞくした。

英国ミステリー、シャーロック・ホームズの見過ぎである。

 

その友人は、ダイアナさんの死を知らずに亡くなった。

私が母となり、オケタニ式母乳育児をしていたころ、十年以上たって病気が再発した。

入院した病院に、赤ん坊を実家にあずけてでかけたのを思い出す。

授乳と授乳のあいだの二時間半しか、私が赤ん坊と離れていられる時間がなかったから、大急ぎで出かけて、大急ぎで戻った。

ロイヤル・ウエディングから、そんなことを思い出す。

 

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ジエーン・フォンダ

2011年の6月、わたしはなにをしていたのだったか?

ブログより。

BSで録画予約しておいた「獲物の分け前」を観る。

三十年ほど前、友人がVHVのビデオから録画してくれて、画像はいまいちであったが、そのとき実際の映画を初めて観た。

中学のころから私には見る目があったようだ。

 

ウォルト・ディズニー映画「クレタの風車」。

ディズニー映画にちょいちょい出演していた子役ヘイリー・ミルズが大人になって、初のキスシーンの相手役を勤めたのはピーター・マッケナリーという若手の英国俳優である。

パンフレットによれば、英国シェイクスピア劇団の俳優ということであった。

映画館で買ってきたペラペラのパンフレットには、オフの日に砂浜(クレタ島の海岸にちがいない・)に寝そべってなにやら話しているふたりの素顔の写真があった。

めの荒い白黒写真である。

 

驚くことにこの同じ写真を今ネットで観ることができる。

ああ、この写真を中学生の私はずいぶん大切にながめていたもんだなーと感慨深い。

 

ピーター・マッケナリーについての全情報はパンフレットに載っていた小さな顔写真の下に書いてあった経歴だけである。

 

当時通学に使っていた田園調布駅は、ホームからホームへ渡るためには階段の通路を越えなくてはならず、教科書の入った重いカバンをぶらさげて階段を登ったり下りするのはたいへんだった。

階段の通路に映画広告がはってあった。

 

ある日、いつものように通路をたらたらと通ると、そこにはってある映画ポスター三枚のうち一枚に他ならぬピーター・マッケナリーさんらしいひとが裸の女性の前で同じく裸で座っている。

映画の題名は「獲物の分け前」となっている。

通路に立ち止まって、裸のマッケなりーさんのポスターに釘付けになるわけにいかない。

そうしたかったが。

そのときは知らなかったが、この女優さんはジェーン・フォンダであった。

どうしてもその映画が観たい。

早熟で知られるミヨちゃんに、一緒に行ってもらえないか・・と聞いてみたがタイトルに「獲物」とくればエッチなものに決まっているから、成人向き映画に違いない、むり、と言われ泣く泣く断念した。

 

それから数年たって、金沢文庫でひとり暮らししていた頃、新聞のテレビ欄で「獲物の分け前」を発見した。

テレビがあるにはあったが、アンテナがなく白黒の画像が流れたり途切れたりしてよくみえない。

ほとんど見えない画面に釘付けになった。

そしてドシャぶりの雨の茫々と流れる奥に映る映像ピーター・マッケナリーさんを発見したときは心臓が高鳴った。

クレタの風車」以来の再会であった。

 

「獲物の分け前」を、初めて最初から終わりまで見たとき、ピーター・マッケナリーの持つ魅力にあらためて感動した。

私は「クレタの風車」というお子さま映画に出演していたピーター・マッケナリーの発散する性的魅力を理解していたのだろうか。

「獲物の分け前」という映画のベース、「父親の新妻と恋に落ちるひとり息子」という神話的テクストに、この英国俳優はぴったりと一致する。

もともとシェイクスピア劇団の役者ということだから、目なざしは強く演技に迫力がある。

相手役のジェーン・フォンダはこのとき、すでにアクターズでスタニスラフスキー・メソッドを習得したあとか前か・・わからないがイケイケのキュートである。

トランジスタラジオを持ってサンバを踊るシーンや、スケスケのカーテンを裸体に巻き付けてストリッパーのように踊るシーンなどは巻き戻して何回も観る。

 

恋愛を三角関係で描くことはドストエフスキーから始まったのだ、と言ったのはイワン・イリイチだが、父と息子と若い女という構図は映画の始まりから決してひとつの軸をまわっていないちぐはぐさが実にうまく描かれている。

三者それぞれのズレを三者のふとした表情や髪をかく微妙な仕草に語らせている。

 

若い女は若くはあるが、肉体が老いに向かう年齢に突入しつつあり、二十二歳の美しい男性に溺れる。

二十二歳の若者は父と継母のあいだにもつれこむ苦しい情念にあえぎながら所詮自分というものも、現実というものも過信していない。

父親を裏切れない、という律儀なしばり以上に現実的な判断、

つまり「ふたりで逃げたってうまくいきっこないさ」という冷めた目が悲しい。

そしてミシェル・ピコリ扮する父親はキョーレツである。

初めて二人の不倫を疑い、息子のベッドで妻のネックレスを見つけたときの顔、

ふたつ並んだ枕のひつとを取り上げておそるおそる自分の鼻を近づけて、匂いを嗅ぐシーン。

彼はここであらましのすべてを理解する。

そのときのすさまじい目。

戸惑い、怒り、自己憐憫

妻と自分の息子に裏切られて無惨に敗者となった彼は復讐を開始する。

彼がそうしようと思ったらもう、だれにもどうすることもできない。

徹底的に冷徹な男をピコリがさらりと演じる。

 

義理の母と息子であったふたりが、性的な関係に陥る瞬間。

はずみでもつれているうちにそうなる。

我にかえって立ち去ろうとする若者のすそに手をのばし行かせまいとする女。

沈黙が漂う。

そして一線を越える。

肉体が異なる意味を持ってしまう。

「母と息子」が「女と男」になって、嫉妬がうずまくようになり、罪悪感に責め苛まれながら

性的な関係から抜け出ようともがきながら、深くからみとられていく。

そしていよいよ行き詰まって行き止まりになるまで、三者ともが禁制にひっかかってく模様が美しい舞台装置と魅力的な背景、

ヒッピー文化やモッズスタイル、ロックンロール、東洋趣味といったものに飾られながら展開していく。

 

「獲物の分け前」がビデオ販売された当時、欲しかったが高価で変えなかった。

「バディム監督の耽美主義」というキャッチコピーがこの映画の本質をよく表している。

 

映画製作は1966年となっていて、ジェーン・フォンダ反戦活動家になる前であり「ワーク・アウト」という空前絶後のベストセラーを出版する前であり、父ヘンリー・フォンダと和解して映画共演する前のことである。

バティム監督とのあいだに生まれた娘はジェーンがなにかに立候補した選挙直前に麻薬でラリっているところを保護されるという事件を起こしている。

ロジェ・バディムとの関係が、周囲の予想を裏切らずにすぐに破綻したあと、再婚したジェーンが、新しい夫と夫のあいだにできた男の子、バディムとのあいだにできた娘の写真を雑誌で見たことがある。

ジェーン・フォンダは大きな金の輪のピアスをしてすがすがしかったが、娘だけひとり顔を道化師のように真っ白に塗っていた。

はにかんだように笑っていたが彼女ひとりだけカメラから目をそらしていた。

以来この子のことが気になっていた。

 

 

一方ピーター・マッケナリーは、ウィキペディアによればこちらが知らないだけで英国のテレビドラマなどに出演していたらしい。

このひとはゲイにちがいあるまいと思っていたら、一度目の結婚でできた娘がなんとかマッケナリーといい女優をしている。

すっかり爺さんになったマッケナリーが大きな目のまぶたが完全にたれて一重まぶたのようになり幸せな一生だったらしいにこやかな顔写真とネットでお目にかかった。

 

原題は「La Caree」はらわたという意味のフランス語である。

原作はエミール・ゾラの中編である。

ミシェル・ビコリ以外のふたりは英語圏のひとだからフランス語は母国語でないはずだ。

ジェーン・フォンダは劇中カナダ出身ということになっていて英語で歌うシーンがあるが、ピーター・マッケナリーは一貫してフランス語を喋る。

このあたりの不均衡さもこの映画に不思議な魅力を添えている。

 

 

田園調布駅の高架通路にはってあったポースターには「獲物のの分け前」と記されてたが、英語圏では「The Game Over」というタイトルだったらしい。

「ケームは終った」とか「ゲームの後」とかの邦題だったら、ミヨちゃんも付き合ってくれたかもしれない。

 

おませで知られたミヨちゃんは、同級生のなかで一番はやく亡くなった。

 

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乱読

連休中に「林芙美子展」へ行って、その気になって図書館から借りてきた林芙美子の「放浪記」と「戦場」昭和16年ころの満州紀行の本。

林芙美子はだいすきな作家で、一時全集を借りてきて読み漁った。

こんなにおもしろいのに評価が低いように思っていた。

女性だからだろう、とも彼女の経歴にも関わりがあるのかもしれない、とも思っていた。

しかしいまや世田谷文学館へ行くと、林芙美子の研究者やファンがたくさんいることがわかる。

 

吾妻ひでおの「逃亡日記」

これはマンガとトークと妙な写真・・黒服のゴスロリ美少女といかにもアル中あがりの中年漫画家が、かつて漫画家がホームレスをしていた公園で撮ったよくわからない写真・・ふざけているのかシリアスなのかよくわからない本。

吾妻ひでおという漫画家をしらなかったわたしは、おそるおそるこの本を中古で買って、読み始めた。

おそるおそる、というか疑って読み出したため、頭に入っていなかったので、二度読みする。

ここまではベッドで枕に頭をくっつけて横向きに読む。

 

同時にハートネットでたまたま観た松本ハウスの「統合失調症がやってきた」 と、エムケ「憎しみに抗って」・・期限内に読めず、ついに自腹を切って新書を購入・・

は、身体を横にしては読めない。

頭をたてにしないと読めない。

集中して考えないと先にすすめない。

ハウス加賀谷のストーリーは興味深い。

浦河べてるの家の本を読んでいるので、統失のことは少しは知っているつもりだが、こうして当事者の子ども時代からの話しを聞くと、子どものこころというのはたいへんなものだ、と思う。

子どもだから、と無理をさせたり無頓着だったりしがちだが、子のほうは親に合わせて、うんと無理をしていることがあるのだ、こころが全壊するほどまで。

自分の子が心配になる。

 

映画は「グランド・フィナーレ

去年WOWOWに加入したときに録画したもの。

ジェーン・フォンダが、すごい汚れ役で出ていたのを思い出して、もう一度ちゃんと観たくなった。

はじめこのいわくありげな老女優がまさかジェーン・フォンダとは思わなかった。

え?

と映画のサイトをチェックして初めて知った。

マイケル・ケインとハーヴエイ・カイテル主演。

豪華なスイスの保養施設が舞台。

なんとなくいやな味が残る理由を考える。

この映画はミソロジーだ、と思う。

女性の描き方が歪んでいる。

 

最新のジェーン・フォンダが見たくなったのは、何年も前の6月、自己ブログで「獲物の分け前」の感想を書いたのを久しぶりに読んだから。

6月のブログをまとめて読んでいた。

「獲物の分け前」は、若かりし頃のフォンダ主演のフランス映画である。

何年も前の6月に、その話しを友だちにしたら、わざわざDV Dを借りてみちゃったよ、と言っていた。

感想は言わなかったから、おもしろく観たのかどうか、

もうこの世の人でなくなってしまったから、確かめるすべはない。

 

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 クレヨン・ハウスのフェミニズムコーナー。

朝はやく行ったら、絵本コーナーの職員が掃除に参加しない、と他のスタッフに文句を言われていた。絵本コーナーにあるまじき険悪さだった。

 

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友だちと約束して、会い、ランチとお茶をすると12時前に待ち合わせをしても、別れるのは夕方だった。

同じ店に家族と行っても、あっというまに食事が終わり、お茶もさっさと飲み終わってしまうのに、彼女と一緒だといつまでもいつまでも話しが尽きない。

当時は、犬が二頭いて夕飯を待っているから、腕時計を見てそろそろ、と立ち上がるのはわたしであった。

同級生どうしの話しから、中高時代の思い出や、それぞれの抱えるなやみ、互いに文芸部だったので本の話しもして、濃い時間になり、分かれた翌日くらいには間髪いれず手紙が届いたものだ。

 

ただ、話しが政治に及ぶと、いっきに反動的な色をつよめた。

人種差別はいけない、という良識は当然あるはずのひとだったが、日本の未来を憂う彼女は、一定の外国人がこの国に入り込んできている、と声をつよめた。

メディアにも、政治にも侵入して画策している、と妄想のようなこという。

当然自分以外のだれもが同じ意見のはずだ、というスタンスで、だれだってわかってるよ、と言ったあと、

「ねえ」

と相槌をもとめた。

この「ねえ」は、よくおばさんたちがあまり自信のないことを言うとき、たびひたび出る「ねえ」である。

当然と思っているが、その証明ができないため「ねえ」と相槌をもとめるのだ。

 

いつからか会うたびに、目を釣り上げて外国人を叩き、国を憂う彼女をみるのがいやになった。

熱のこもった怒りの感情がどこからうまれてくるのか理解できなかった。

裕福な家に嫁ぎ、自分では決して生活にこまらない身分のひとが、生保受給者をたたく怒りが理解できない。

一方で、夜中のバスに揺られて震災の炊き出しに行ったり、病気の子どもたちへのボランティアに自から出資して行ったりもしていた。

 

わたしには、ばらばらにみえる、困ったひとたちを助ける活動と、日本にいる一定の外国人を叩き、生保受給者はなまけものの不正受給者、と怒りで顔を青くする彼女は、自身に矛盾はなかったのだろう。

根っこは「憂い」なのか。

 

カロリン・エムケの「憎しみに抗って」という本を読んで、やっと納得ができた。

もちろん、友だちはヘイト・スピーチに参加して声をあげるようなことはなかったろうから、違う話しだ、といえば違う話しなのだが。

憎しみの感情のメカニズムがわかりやすく、そしてたいへん悲惨に紐解かれている。

 

「人種差別に走りやすいひとは、否定的な体験を通して自己形成しているひと。

制約や障害が多い環境のなかで、受け身で適応していかざるを得なかった無力感があるひと」

 

彼女が幼少期から女の子だから、という理由で毎朝玄関掃除をさせられていた、と聞いたのは、いつだったか。

子ども心に、なぜ自分には日曜日がないのだろう、と思ってたよ、と悲しそうな目で言った。

若くして恋愛をして、地域の資産家に嫁いだ。

結婚に、母親は反対だった、という。

長男の嫁として、大姑、舅、姑を看取り、子育てをし、大家族の食卓、月に一度の会合の食卓を担ってきた。

あるとき、月に一度家を訪れるお坊さんが、彼女の歩き方を見て、お嫁さんをこんなふうに扱ってはいけない、と舅に言ってくれた、と言う。

廊下をまっすぐ歩けなくなっていた、と。

家の外に初めて出かけたのは、長男の幼稚園の保護者会だった、と。

お盆や正月は、舅姑の過ごす伊豆の別荘での掃除とまかない。

奴隷じゃん、と思った。

 

女であることで、ここまで使われるのか、と空恐ろしいような話である。

これもまたドメスティック・バイオレンスの一形態ではないか。

私はすきでやってるの、と言ったとしても、

彼女の家事自慢、料理自慢はさりげなく語られるものだったが、

 

彼女が家を出て、隷属状態から自分を解放させることができたのか?

できなかったのだ。

 

怒りはさまざまなものに放射された。

ベビーカーで外出するママがにくい。

夫に子どもをだっこさせて、手ぶらで歩くママがにくい、

外国籍のひとたちがにくい、

生保対象者がにくい、

 

怒りと憎しみは、対象を選ばない、とエムケは書く。

それがユダヤ人であれ、黒人であれ、同性愛者であれ、歴史は時代ごとに対象を変えてきた。

その社会で弱者として目立つものであれば、いつだって選択されうるのだ。

 

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