着物のきもち

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ひさしぶりに着物を着た。

ひさしぶりに会うともだちは、値踏みするような目でみることも 、マウントを取られた、などと思うこともありえない。

 

ずーっと腰の具合がわるく、体調も低迷していて、着たいなあ、と思っても、

ちょっとまて・・と首のこわばりのことを考えたり・・段取りとエネルギーを思うと「やめておこう」となる。

腰もましなようだし、天候もランチの場所も、ともだちのキャラも邪魔な要素はなにもない。

 

着替え始めたら、なんとすきっとお太鼓も難なく締められた。

 

時間ぴったりに現れた彼女は、

「あら〜着物で来てくれたの!」

 と笑顔。

ランチは、和食の店で牡蠣フライ定食。

お茶は、コーヒーとケーキ。

午後二時半くらいになると体力がもたなくなって、くらくらしてくる。

帰ろうか、と分かれて私鉄に乗って帰って来る。

めったに会わないが、40年以上のつきあいのこのひとは、別れるときはいつもちょっと涙目になる。 

 

八百屋に寄りたいのだが、着物を着ているのでやめておく。

奇異な目で見られるのもいやだし、

すてき!などとお世辞を言われるのもいやだ。

めんどくさい。

ひとがどう思おうと関係ない、という境地にはなったことがない。

常にひとの目を気にして、マインド・リーディングして、腹を立てたり、うぬぼれたり。

ひとの目を気にして生きるほど不幸なことはない、と言ったのはだれだったか。

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 ケーキは大ぶりで、食べきるためにはコーヒーが足りない。

友だちは、コーヒーのお代わりを注文してミントチョコケーキを完食。

私は、迷ったが、コーヒーのお代わりをあきらめ、ケーキを残すことにした。

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なまギリヤーク

新宿三井ビル55という広場で、ギリヤークが踊るというので、夫とでかけた。

新宿の通路は、塵っぽく暗く、歩く歩道はずいぶん前に有名になったけど、一方通行で中途半端。

広場に集まるとすでに人々が集まっていて、広場を囲んでぎっしり座っている。

歩道橋や建物の階段など、広場の見える位置に見物人がひしめいている。

 

来年50周年とかで、病気もあり御歳87という高齢でもあり、いかないと後悔するかも、と思い切って出かけたのだ。

車椅子で登場したギリヤークさんは、身ひとつで大衆の目を集める訓練を積んだひとらしい。

オーラというには、はかないなにかをを発信している。

赤い着物を着て、顔面を白く塗った老人がよろよろと立ち上がって踊り出す。

大道芸の極意。

滑稽さとグロ。

最後は、母親の小さな遺影を衆目にぐるりと見せて、おかあささささーんと叫ぶ。

浪花節

 

私は観客のほうにも興味がある。

ふつうの親子連れ。

ひとりで席を取っている男性や女性。

業界のひとっぽいひともいるし、アートな関係のひともいるが、少ない。

大半は、カテゴライズしにくい、ふつうのひと。

通路を先に歩いていた帽子を被ったお婆さんと、手をつないだお爺さんのカップルが、ここにいた。

 

待ってました!

とか、

ギリヤッーク!

とかカッコいいかけ声が、間をとって叫ばれる。

 

色とりどりの紙に包まれた投げ銭が、雨のように飛び交う。

金なのに、なまぐささがない。

美しくすらある。

 

ギリヤークさんには言いたいことがたくさんあるらしいのだが、

パーキンソンで声がわなわなするし、小さいし、遠いし、なにを言っているのかわからない。

なにを言っているのかわからないことを、じっと聞きつづける観衆。

 

最近話しながいよね、去年くらいから、

と後ろのカップルの女性のほうが言っている。

なんだろ、歳かね

などと辛口。

それでも、愛で見守っているのか。

 

最後は「老人」という旗を観衆どもにぐるっと見せて、すっぽり脱いで赤フンだけで踊る、というか歩行するポーズ。

老いさらばえ、やせ細り、それでも目をそこに集めずにはいられない芸人魂。

 

芸人は、天然で単純なひとのようである。

このひとを支える人間は、その単純さや天然さに惹かれるのだろう。

 

ごみごみした新宿の空間は、味わったことのないあたたかな空間になっている。

三連休最後の一日。

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おかあさぁぁぁぁぁん! 

 

 

 

 

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中秋の名月

物干しに出て、月をみる。

雲が厚くて、ぼんやりとむこうに透明な光が隠れているのがわかるが、月のかたちはみえない。

 

もともとこの季節、さまざまな異変があった。

東洋医学でいうと、この時期は婦人科系に負荷がかかるのだそうだ。

中秋の名月とか、池上本門寺のお会式とか、そのころ入院していたこともある。

当時(もう違うのだが・・)仲の良かったひとが、この時期いつも調子わるいね、と言って、気がついた。

 

しかし、今年は、というか昨年暮れに犬が死んで、近所の親しくしていたひとが亡くなって、年末年始、宿敵ともいうべき夫の姪が三歳児を連れて上京し、わたしのところへ来る気はさらさらなかったのだが、予定していた宿に病人が出て、ほかに頼るところも金もないため、うちに転がり込んだ。

ほんとうに断って欲しかったが、夫は受け入れてしまった。

狂いそうに、疲れがピークになり、正月から仕事が入っていた。

すでに腰の調子が悪く、たびたび身体がまっすぐにならない事態に、暖かくなってやっと調子が取り戻せそうだったのが、また夏にきて悪くなった。

 

なぜか、年末からフライドチキンなど食べ始めた。

ムーミンのお皿がもらえるサービスに乗じたのがはじまりで、こんなもの食べるのは数年ぶりだったのに、いったん食べたら美味しく感じはじめた。

こんな脂っこいものを食べて、調子が悪くならないのだからきっと丈夫になったのね、などと解釈し、不思議なことに、ジャンク・フードはジャンクなだけにジャンキーになるのだ。

ついでに中華料理店へ行くのが好きになった。

ここの中華はいやな後味がない、などとたびたび行ってジャンボ餃子や麺類など注文した。餃子だけ買いに行って、おかずにしたこともある。

かんがえられないことなのだが。

 

そして、食欲は低迷気味で、味がはっきりしたものしか美味しくなくなった。

昼の麺類に豚肉を大量に入れたものを食べ、夜はすき焼きなどというメニューも、いま思うとかんがえられない。

 

今回、腰が完全に悲鳴をあげ、野口整体に行くと、「たべすぎ」と言われる。

え?

この太り方はたべすぎ、と言われる。

でも体重は増えていませんよ、などと言い訳をするが、体重も1キロくらい増えている。

でも、1キロ。

いや1.5キロか。

 

整体の帰りに、遅くなったし、なにか買っていこう、とデパ地下へ寄るとよいにおい。

鳥の唐揚げの期間限定コーナー。

鳥の唐揚げって揚げ物なのに、大量に買い込んでしまう。

車は急に止まれないのだ。

 ブレーキが効いて来るまで、腰をもう一回ぎくっとしなくはならなかった。

不思議。

たいてい食べ物で失敗する。

食べ物で失敗する原因はストレスなのだが。

ストレスがあると、脂ぎった、味の濃い、ふわふわしたものがどうしても食べたくなる。

肉をやめ、中華をやめ、油脂の使ったせんべいをやめ。

そういうものをいかに食べていたか、思い知る。

 

このところ食事の見直しが功を奏して、いつも調子のよくないこの季節、意外と良い気分で過ごしている。

しばらくすると、くっきりと青いような月が濃い雲のなかから現れて、思わず手を合わせる。雲がいきもののように息づいて、ぐるり建物の海の向こうの赤い光のつぶがけたたましく点滅している。

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長引く不調

月に一度の湘南。

保育ルーム。

 

はじめに私鉄の電車を一本逃したのは、生協の注文書のせい。

昨日ネットの接続がわるくて久しぶりに手書きの注文書。

乗り換えた電車は、遅れている。

東海道線は、空いている。

やれやれ、と定刻に着いたのに、腰の状態がいまひとつでスピードが出ない。

歩く速度でずいぶん違うものである、時間ぎりぎりになってしまい、いつも時間調整する体育館を素通りして、やっと到着。

子どもたちが待っている。

 

待っているわりには、活動に集中がない。

夏の疲れと、金曜日ということもありかれらの疲労はピークなのだ。

ケンカが起ったり、ご機嫌がわるくてちょっとしたことに泣いたり。

この保育ルームの活動は月に一度なので、インパクトのあるリズムにしている。

3歳から5歳までの子どもたちの成長を見つめながら、音とリズムに乗って身体を動かす仕事。

どうも身体が言うことを聞いてくれない。

動きを出し惜しみしている自分。

いつまで、この子たちと一緒に動くことができるのか?

年齢?

師匠と見ていた現役リズムの先生が最後に大きな体育園で講習をしてくれたとき、63と言っていた。

何通りものカエル跳び、走る速さ、声のでかさ、子どもたちのリズムに対する情熱。

今月でかれの年齢を越えてしまう。

うーん。

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逆転位とか

北浦和の老人ホームに入居する伯母を訪ねたのは、最初のぎくっをやる5日前。

このひととのあいだにときどき起こるのだが、往復の長い道のり、午後からは嵐の予報の日に、プレゼントを持って出かけ、行くんじゃなかった、と悔やむ。

私のことだから、まあいやなことはさっさと忘れて、とはならず、じくじくじくじく気持ちを病む。

そして、いやな気持ちを解明しようと努める。

そんなことも、この腰に影響しているのだろう。

「なにかストレスありましたか?」

と野口の先生に言われるが、なんとも説明しづらい。

私の歪んだバイヤスのせいで、伯母のなんということはないひとことひとことが胸にささる?

 

あるいは、もう歩けなくなった伯母が、いいよ、と言うのに、

いざったり、腕の力で必死に身体を持ち上げて、あまり甘くないぶどうを冷蔵庫から出してくれたり、冷茶を作ってくれたり、浄水器を通してない水で作った消毒臭いお茶を、おいしい、と言わなくてはならなかったり。

 

自分が歩けないとき、這ったり、いざったりしていると、肉の削ぎ落ちた伯母の小さくなった身体を思い出して、これは転位かもしれない、と思ったりする。

面倒を見ていた長女がついにねをあげて、老人ホームへ入居することになった伯母は、上機嫌というわけではない。

さかんに長女のこと、次女のことを私に話す彼女のこころの奥はわからない。

まるで、伯父と死に別れたあと、しばらくひとりで暮らしていたころのような、切迫感がある。

ひとりでいることは、なんと無防備で、心細いことなのだろう。

ホームというところもなかなか孤独な所のようである。

 

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お盆事情 2017年

生まれて初めてのことだ。

ベッドの上に身体を起こすことができない。

起き上がろうとして、起き上がれない。

ん?

ど・どうしようと汗が吹き出る。

起き上がれなければ、そのまま寝ていればいい、という選択肢はない。

怖いのだ。

うつ伏せになったまま、そろそろと足から下ろし、そのまま床に座ろうとして座れない!

身体を起こせない、とりあえず腕の力だけで上体を支える。

 

そんな事態が、お盆の休み中続き、家族の休みは、私の介護でつぶれた。

 

先月末に、最初の異変があり、ゴッドハンドの元へ車で運ばれたときは、名前を呼ばれても四つ這いにならないと先生の前まで行くことができなかった。

そして、翌日の仕事、なんとかなるだろう、と外へ出たが、歩けない。

そのとき、全身の力を使って、身体を無理やり動かして、30分以上の道のりを強引に、へんな格好をしながら、ときにはだれかの家の壁に手をついて、歩いてしまった。

タクシーは通ってないし、ドタキャンすることは憚られる。

今から思えばどんなに顰蹙でも、ドタキャンをするべきだった。

 

その後、順調に回復しているように思えたが、どんと気温の下がった日の朝、もう一度ぐきっとやってしまった。

なんでも、2度目は大変である。

なんやかやで、3週間、頭を下にして身体を曲げることができないため、風呂の栓をして水を張る、洗濯槽から洗いあがった洗濯物を取り上げるなど、はむり。

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夫所有のアンドレ・マッソンのリトグラフ

具合の悪いときには、この絵を見ながら横になっている。

 

 

 

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アンダンテ

鍵盤は、毎日少しづつ、少しづつ練習をしていけば、そのうち弾けるようになる。

今日、初めてD♭(♭が5つ!!)のアンダンテを通して弾くことができた。

やっと、くりかえし、くりかえし同じ箇所を、何度も何度も弾くことによって、全体が見通せる。

あるパターンがみえてくると、へんな違和感のある、とらえ難い音の意味が理解できる。

流れのなかで、そのへんな協和性の感じられなかった音が、なぜそこにあるのかわかるようになる。

その音が、ぜったいそこにないといけない意味が流れから理解できると、押さえにくい音がむしろすきになる。

 

シューベルトに感謝。

シューベルトがつらい人生のなかで作曲を続けてくれた勇気に感謝。

 

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