夫がアイフォンでランクの高いお好み焼き店を探し、そこまで歩いていくと朝出発したばかりのホテルのすぐ近くであった。
狭い店内と、成功したオーナーにありがちの饒舌なひとり舞台のカウンターと二人席、奥には数人で座れる鉄板付きのテーブルがある。
私は、こういう男性のトークが苦手である。
お好み焼きを食べながら、あれ?
リュックがない・。
いつも私が背負うリュックを夫が背負ってホテルを出た。
だから夫にはなんとなく私の持ち物のような気がしたのだろう。
資料館のロッカーに入れっぱなしで出てしまった。
一度休憩に館内の喫茶店に入ったのも、なんとなく流れが変わってしまった理由。
いったん休もう、と喫茶店に入ったら、疲労感を感じてもうすこしだけ見たら帰ろう、ということになった。
そして入館時に預けた荷物のことを忘れてしまったのだ。
お好み焼きやさん、ふたたび資料館、原爆ドームからひろしま美術館へと歩いた。
原爆ドームを見たとき、ああ力は拮抗しているのだ、と感じた。
あのような史上類のない大殺戮が執行された、その痕跡を七十年間保ちこたえたのだ。
忘れないぞ、と決して許さないぞ、というメッセージを七十年間、ひとりひとりの力を結集してなまなましくそのままに存在している意味。
当局は邪魔だろう。
更地にして、なかったことにしたいだろう。
それを許さないで、破壊されたときのままに維持する力。
だから大丈夫なのだ、きっと。
闘っているのだから、勝つことはないにせよ抗っているのだ。
だから、大丈夫、と思った。