「たまもの」

「なんじの神をあいせよ」と「なんじをあいせよ」はイコールではないのか?

神蔵美子さんの「たまもの」というい写真集を中古で手に入れて、あたかも自分が環七通りのマンションに暮らしていたような、あたかもそこから三軒茶屋まで歩いていたような、そんな気になっている。

桜新町や用賀といった身近な、いつも行き来する場所の風景のなかに展開するので、いっそう妄想しやすい。

 

こころをつくして

おもいをつくして

知力をつくして

なんじの神をあいせよ

 

という聖書からの文言。

クリスチャンではないが、聖書に書かれたことばがどこからか飛んできて身を救われた経験がある。

このことばを「なんじの神」ではなく、「なんじ」にしたら心にしみてきた。

 

神蔵さんが、銀座の喫茶店で友人と会っていたとき、坪内祐三さんの大怪我のことを聞き、病院に駆けつけるのだが、そのとき喫茶店の床に落ちいてたシオリにこのことばが書かれていた。

茶店はきっと、細い階段をどんどん登って売り場に行かなくてはならない、あの書店近くだだったのだろう。

教文館

あそこで本を買うと、聖書のことばがついたシオリをくれるのだ。

 

神蔵さんはすでに坪内さんと結婚を解消していて、坪内さんも新しいひとと再婚していたから、神蔵さんは駆けつけることを迷って、坪内さんの実家の母上に電話を入れて承諾を得てからでかけることになる。
紙切れ一枚でも、結婚して離婚したとなると、ものごとはそうなる。

 

「たまもの」は坪内祐三から始まり、坪内祐三で終わる。

この写真集から二十年後に坪内さんは心不全で急死してしまう。

あのときの大怪我が影響しているにちがいない。

昨年のことだ。

喪主はあたらしい奥さんである。

神蔵さんが坪内さんの死にどんな想いを持たれているか、どこかに書いてあるかもしれないが、私はまだ出会ってない。

SNSからは新しい夫の末井昭と猫のことしかわからない。

すっかり中年となり安定した神蔵さんの、新しい仕事はどうなっているんだろう。

しあわせそうだから、もう写真は必要ないのかな。

f:id:mazu-jirushii:20210216070630j:image

 水色の本立てを持っていった方へ。

お返しくださいね、