このところの寝る前の習慣。
アルコールと薬で滑舌があやしくなったらもさん。
なぜこのひとのことばが子守唄として響くのか?
そもそもどこから中島らもだったっけ?
目がわるくなっていて、寝ながら本を読むことをなるべく控えすることにした。
図書館から借りられるCDで落語を聴くが落語の世界はまことに男性的で気に入らない。
落語から小説へとすすむが図書館で借りられるCDは数が限られている。
YouTubeを利用することにした。
あいかわらずこの作品のよさがわからない。
だれの小説がいいか。
なんとなく小林秀雄。
小林氏みずからの声。
聞きづらい声だ。
末井昭行ってみよう、ということになる。
末井さんのYouTubeを聴いていたら中島らもとの対談が出てきた。
「こんなひといたよな、中島らも・・」
らもさんが影山民夫と対談している。
「こんなひともいたよな、影山民夫・・。」
影山民夫氏が昔、夜のテレビ番組で野坂昭如や淀川長治や談志やなんと都知事になる前の猪瀬なんかと対談している。
YouTubeにぞろぞろ出てくる。
1980年代「クリティックス」という番組を持っていたようである。
影山民夫どんなひとだっけ?
たしかあまりかんじのよくないひとだったような・・?
ウィキでしらべた。
途中で新興宗教に入って、テレビで活躍できなくなったとある。
このひとのどこが気に入らなかったんだっけ?
なんとなく思い出した。
目をきょときょとさせて、えらそうなのに自尊感情はひく〜いんだろうなぁ、肩いからせちゃってかっこつけて。
でもこんな悲劇的な亡くなりかたをしてたのか・・。
見た目でひとは判断できないなぁ。
最近自死した女優さんも、ふてぶてし〜い印象だった。
ほんまにふてぶてしかったら、てつこのようにぴんこのように芸能界を生き抜いていたことだろうに。
末井氏から影山氏から中島らもへと勢いよくシフトした。
それほど中島らもというひとは強烈なのだ。
このひとが激しいアル中の当事者で薬物もやっていて、新聞でお悩み相談をしていたことは知っていいた。
ときどき読んでいたが、
「内容はないよう」の感じだったが、
「内容はないよう」がらもさんの持ち味かもしれない。
らもさんが亡くなった記事を読んだとき、とうとう依存症が治らなかったんだな、と「敗北感」のような印象を持った。
私は依存症者が依存症のまま死ぬことは(敗北)と思っていた。
更生し、依存を振り返ってほしかったのに、どろどろに酔ったらもさんは酔ったまま死んでしまった。
私の父は、永きにわたる飲酒に本人も家族も苦しんできたが、とうとう酔って階段から転落し、らもさんと同じ脳挫傷で死んだ。
アル中のまま亡くなったことは悔やまれる。
しらふに戻って、きちんと整理をつけてから逝ってほしかった。
父はまちがいなく不幸だったが、らもさんの場合はどうだったのだろう?
アル中でありながら、常に多勢に囲まれていたようだし、いっぱい発見しいっぱい創作して、それで亡くなったのだ。
どこも敗北などではない。