ニュースの結末

がっかりした。

まさか、と思ったが。

こいつが最高裁判事として永久に米国の立法府に君臨することになるとは・・。

反対運動していたひとたちの姿もいつのまにかニュースから消えている。

 

こんな気分になるなら、はじめからニュース観なきゃよかったよ。

うちの犬でも撫でて、いやな気分をわすれよう。

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ニュース

週末、BBCのニュースで、エレベーターの扉を閉めようとしたところに強引に入り込んできた女性ふたりに詰問される男性の映像が繰り返しながれる。

エレベーター内に一緒にいた女性たちがなんどか扉を閉めようと手を伸ばし、乗り込んできた女性を追い出そう、とする動きも見えるが、

身体を張って乗り込んできて、話しをつけようとする女性たちの背後にはカメラがあり、すべてを撮られているし、世界中に配信されることは明白だから、いろいろ計算して身動きが取れない様子がおもしろい。

どう思うの?

彼が本当のことを言ってると思うの?

ノーノーノーあなたがどう思うか聞いてるの、どう思うの?

というようなことを言っているようだ。

質問ぜめにされている男性は、民主党のようにはみえない。

白人男性の保守的なタイプの顔をしている。

だいたい顔をみればわかる、というのはあぶないかもしれないが、

でも調べて見たらこのひとが共和党上院議員であることがわかる。

乗り込んできた女性は興奮していて、口角泡を飛ばしている。

私が嘘を言ってると思うの?

私が嘘つき?

早く日本語放送にならないかな、同じ場面を見て、なんとか理解したい。

 

米国の最高裁判所の判事に指名されたカバナーという男性と、カバナーさんのハイスクール時代に性的暴行を与えられたとして訴え出たフォックスさんという女性との攻防の重大な局面である。

いったん指名されたら生涯その立場は保証される。

判事指名を阻む勢力が性被害を訴える女性の側に立って、カバナーさんを追求する。

男性と女性、双方が「真実」を述べること神に誓っている写真が並んでいる。

どちらかが嘘をついている。

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自分にはアルコールの問題などない、自分がどれだけ優秀で、スポーツ万能だったかだれにでも聞いてほしい、自慢になるようでこういうことはあまり言わないのだが、成績を調べてみれば点数がわかる、自分は人気者でもある、などカバナー氏が必死で述べている。

成績優秀でスポーツマンを売りにし「自慢じゃないけど」などと言って自慢する政界で出世するうぬぼれやが正直であるわけがない。

 

一方性被害を受けた、と訴える女性の首まで赤らめた緊張に震える声を聞いたとき、ああ、このひとは正直なことを言ってるな、と私は感じた。

 

貴乃花の引退会見を長々と見て、風呂に入りそこねた。

宮沢りえさんの婚約会見と婚約破棄会見、そしてマッサージ師にマインド・コントロールされているという報道、あんなに仲良しだった兄との関係悪化など、このひとにまつわる報道からは、お相撲は天才かもしれないが、世間的には脆弱なひとという印象を受ける。

引退会見、こぞっていろいろなひとが質問、質問という名のもとの意見に長々とさらされる貴乃花

昔、しょほーい労組で、しょぼーい大会があり、そこでのバトルは、労働側と資本側ではなく、労働側内の党派間の争いだったりした。

だれかが壇上で意見を言うと、反対派が質問攻めにし、大きな党の党員はしっかりしたメソッドがあるので同じ内容の意見を出して壇上に立つ組合員に恥をかかせよう、とした。

つまり「おまえなんかだめなんだよ!」ということを言いたいがための質問なのだった。

私の近くに居たひとが、

「自分の主張したいことを何箇所がメモに書いておいて、どんな質問がきてもそれを言えばいいんだ、と言ったときは、仰天した。

え?

と言うと、時間がないからそれでいいんだ、と言った。

今回貴乃花を見ていてそれをやっている、と思った。

つまり政治なのだ。

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権力のある側とない側という「階級意識」を持って世の中を見ているから、権力のあるひとの言うことは信用ができない、ほんとうのことを言っているのは権力のないひとの側だ、というような価値観がある。

あてにならないこともあるが。

金と権力を得たものは、金と権力を守ろうとするだろう。

ないものは、尊厳を傷つけられたり、誇りを傷つけられる恥の感覚が原動力になる。

貴乃花は、ずいぶん誇りを傷つけられたと思う。

フォード女史は尊厳を投じて、過去自分を暴力的に貶めた男を最高裁判事にさせまいとしたのだ、と私は思う。

 

BSの世界ニュースで、ようやくこのエレベーターの顛末がわかった。

ふたりの女性は自身性被害者で、MeToo運動をしているひとたち。

カバナーに票を入れようとしていたジェフ・フレイク共和党議員をエレベーターで捕まえて、

「カバナー氏が本当のことを言っていると思うのか?」と詰めよっていたのだった。

このエレベーターでのシーンがあって、公聴会に戻ってきたフレイク議員は「ちょっと待て」サインを出し、FBIがこの件について調査をする、というこれまで拒絶してきた方向を示すことになったのだ。

 

白熊ピース

誕生日の前々日、65歳になるまぎわで、少々感傷的になっていたのか泣きっぽい。

テレビを観ていると、白熊と飼育員さんが出てきて、よくみるとピースだった。

2009年の1月にやはりテレビで観た映像に心を打たれて書いたブログの白熊ピースであった。

https://kunierid.exblog.jp/10257155/

 

いまやピースは18歳に成長し、おなじ年齢を重ねた飼育員の高市さんの姿もある。

 

映像は、産み落としたばかりのくにゃっと生き物の頭を母熊がくわえて振り回しているところから始まる。

柵越えに観察していた飼育員さんたちが、度肝を抜かれて、声を上げている。

振り落とされたら死んでしまう。
頭だけぱっくりくわえられて生きているのか死んでいるのかぶらぶらした腕と足が無力に震えている。

しんでまうで、とか

あまがみやろな、とか怯えて見守る声。

なんとか口から放された産まれたての熊。

あの環境が、母熊にとってはセーフじゃなかった、ということなのだ。

そこから始まったのがひとに育てられた北極熊の成長の記録である。

 

胸がつまるのは、自立をうながすべく距離を取ろうとする高市さんを追いかけるピースの姿、

檻のなかで一緒に過ごす最後の日、高市さんが意識的にピースの甘えを振り切り、ピースは余計に高市さんにまとわりつく。

観ていてくるしい。

でも仕方ない。

体重が200キロもある熊とひとが、母と子のままではいられない。

 

ピースには持病がある。

いつになったら大丈夫なのか、安心できるのか、と思ってやってきたが、結局その日はやってこない、と語る飼育員。

ピースの身体症状が、母高市さんとの関係をいつまでも要求するのだ。

 

昔の名残の顔。

いまだに高市さんの手をなめていたときの舌の動きをみせるピース。

目は半目。

巨大なホッキョクグマが自立できない哀れともみえる表情のなかに、育児放棄した母と娘の歴史をみる思いもある。

全身全霊の愛をそそぎ、甘えをゆるした飼育員の存在がなければ、消えていた命である。

だから余計にうつくしく、感動的なのだ。

人工的でもなんでも生きられる命を生かすことができた、そのことがすばらしい。

 

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気がつくとなくなっている

お気に入りのものや店が気がつくとなくなっている現象。

 

立川ルミネにあった平和食堂のチャンポンはチョーおいしかった。

仕事帰りに寄るといつも椅子に座ったひとが並んでいてなかなか入れなかったが、イベントのある日などに時間をずらして入って味わうのが楽しみだった。

運動会の帰りに入ろうとしたら、なんと閉店。

 

お気に入りのペパーミントは、高級スーパーにしか置いてなかったが、あれ?そういえばみかけないなぁ、と改めて店員に尋ねてみる。

「英国性のミントはありますか?」と聞いても、月並みなミントキャンディーを示されるだけ。

「高級スーパー」が増えて、舶来食品が手に入りやすくなったのに、どこにも見当たらない。

ネットという手があった、とネットで調べると高値!

小さな缶入りミントの値段とは思えないような値段がついている。

なにが起こっているのか?

「きや」のたまごクラッカー。

有機食品店の黒いもけんぴ。

製造中止である。

おいしいお菓子が消えてしまう。

おいしいものは手がかかったり採算があわなかったりするのだろうか。

食べ物だけではない。

いざというときに頼っていた決して皮膚がかぶれない漢方の温湿布。

 

このような事態を恐れて気にいったものをまとめ買いする友だちがいた。

もとは私が見つけてきたドイツ製のベビー・クリームは香りがマイルドで油脂分も抑えめで気に入っていた。

アメ横でみつけた彼女がダースで買ってきて、分けてくれたりした。

といっても永久にもつものではない。

ベビー・クリームはあるとき劣化して使えなくなった。

 

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運動会

保育園の運動会で楽しみなのは、卒園生と会えることだ。

何人か気になる子がいる。

前の日から、なになにちゃんくるかなあ、あいたいなぁ、と思っている。

昨年受け持った子で、アトピーがあり他の子と一緒にいる光景がなかなか見られなかった子、

ゼロ歳から一緒に身体を動かしてきた子、など。

どの子もマイペースで、個性的。

 

あ!いたいた!

近づいていくと、遊びに熱中している。

やっぱりAちゃんだ、こちらをちらっと見るが、反応なし。

一緒に遊び興じているのは、どの子も卒園生。

懐かしい園庭で、おいかけっこに夢中なのだ。

なんとだれも私に気づいてくれない!

 

Aちゃん、となおも近づいていくと、私を見上げてああ、なんとなく覚えてる、と言う。

どう学校は、と聞くとうんおもしろい、だけど保育園のほうがもっとおもしろい、と言う。

そっか、としばらく佇んでいるが、だれも相手にしてくれないので、すごすご退散。

 

がっかり、なんだが、でもよかった!とも思う。

卒園して小学生になり、成長して、忘れていく。

通過していく。

 

 

妙薬あるいは毒

もやもやした台風の気圧。

頭がもやもやしていて集中できない、身体がぼてっとしている。

気分転換に外へ出るには日差しが超列で、

天気予報によれば危険な暑さ、無用な外出を避けろ、と警告を無視する根性はもとよりない。

 

わなわなしていて止めようがない。

心がなにかおかしい。

覚束ない。

こんなときは、刺激の強いドラマをいっき見する。

北欧ミステリー「THE BREDGE」は、無用にむごたらしく、無用に死体に細工していて不気味。

今回はシーズン4で、ますます内容が複雑になり、ノートを作って名前と人間関係の見取り図を作ったりしながら、なんとか着いていく。

「ハッピー・バレー」は、グランチェスター牧師探偵シドニー・チェンバースが極悪非道な性犯罪者として登場する。

はじめシドニー(ジェームス・ノートン)の好青年の印象が強いので、どこかで悪くみえきれない部分があったが、回数を重ねるうちにぞっとするようなサイコパスを演じている。

主人公の屈強な女性警官が魅力的で、録画するつもりになったシーズン2。

サラ・ランカシャーなる女優さんの声も演技もひきこまれる。

このドラマには人種差別的がみえる。

悪い奴はインド系と決まっていたりする。

ほんとうは見るべきではないかもしれない。

 

でも、私が求めているのは毒なのである。

レイシズムの英国でも、移民蔑視の北欧でも、なんだっていい。

毒であればいい。

 こんなふうにミステリーを使用するのは私だけだろうか。

あまりの内容に、夫は絶対むり、彼が好きなのはスポーツ中継か、せいぜいなまぬるい天海祐希ホームドラマである。

娘も、むり、おぞましいと言う。

ひとりでいるときにいっき見してざわめく心をなんとかしようとする。

残忍な場面、ひやひやして観ていられない場面は早回しし、音声を消して流す。

わけがわからなくなっとしまうと、せっかく進めたのに、また巻き戻して、内容を確かめないと次にいけなかったりして。

後遺症として、何時間も刺激の強い映像にさらされたおかげで、目と首がおかしくなっている。

せっかくよくなっていた腰までこわ張っている。

 

だれに迷惑をかけるわけでもないし、

せいぜい二、三日間ほど、目と首と腰に違和感がある程度だから、まあいいか?

老眼鏡なしで見えなくなったら、テレビを止めよう、と思っていたはずなのに・・。

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台風

台風が去って、わがやにやってきたちびちび爆弾ならぬ、りえりえ爆弾が帰った。

りえと私は、九つ違いのいとこで、赤ちゃんのとき、つまり昭和37年当時、週末には親の家を訪れ、孫の成長を見せる、というのが一般的ではなかったか。

祖母と同居の家にちょいちょいやってきて、その頃も台風のように来て、台風のように去って行った。

叔父が車が好きで、イギリス車に乗ってきて、そのへんに停めていた。

駐禁でどうの、という時代ではない、その辺で停めるのが一般的ではなかったか。

 帰ったあと、必ず忘れ物があり、台風の威力はなかなかのものだった。

 

叔母が亡くなり、叔父は認知が怪しくなって、いとこの暮らす関西へと越して行った。

だから、この家族でしっかりしているのは、今やひとりっこのりえのみ。

台風の威力としては充分の堂々たるものである。

 

もう暑くて暑くて「えぃっ」と思い切らないと外へ出られない日だったが、どうしてもこの機会にりえの家のあった場所に一緒に行っておきたかった。

 

私はこの家に入り浸っていたが、あるとき出禁になった。

それ以降、叔母は一貫して私を拒絶しつづけた。

その叔母が七十代になったころ、具合が悪くなって、もう無理なようだ、となったときこれまでしてもらってきたことを急に思い出して、懐かしくなり、見舞いに行こう、と勇気を出して電話すると、叔父が対応した。

叔父が電話口の向こうで困ったようにまごまごしているのがわかった。

ちょっと待ってね〜・・・・ちょっと本人に聞いてみるね、

と、旗色のわるい気配を感じてどきどきした。

今でも、そのときの叔父の声のトーンをよく覚えている。

これまでも何度かあったように、姪と連れ合いあいだで困っているのである。

クニエが見舞いに来たいと言っているんだけど、受話器を抑えた叔父のくぐもった声に、はっきり「だめ」という聞き慣れた声が電話の向こうで聞こえた。

 

とうとう最後まで拒否された、というのが私の側の感覚である。

当然ひとり娘のりえも母親から私へのバッシングを聞いているはずである。

りえが冷たいのは、そのせいだろう、と思ってきた。

叔父のことを尋ねる電話をしても、会話が続かない。

関西を訪ねたときもどこかぎこちなかった。

なんとも間の悪い、いやな気持ちで、二度と電話しない、と決めた。

 

ところが、メールが来て、何日に上京するので会えませんか、とあった。

意外、わたしと付き合う気なかったんじゃないの?

 

彼女が、どんな動機でわたしを訪ねる気になったかは別として、五十代になったいとことかつて入り浸り、出禁になった家を訪ね当てると、そこは、すでにマンションが建っていたが、急な坂に面していたその坂は健在であった。

ここだ!ここ、ここ!

いとこも興奮して、ほらここに入り口があって、庭があって、一度クロ(飼い犬)が逃げちやって、と場所を特定できると、私は車の中から思わず手を併せた。

なぜだかわからないが「感謝」とかうすっぺたいテンプレートじゃない。

なにかがじわっと沁みてきた。

過ぎ去った日々、うまくいかない散々な日々、恥ずかしい行いの数々、おとなたちを怒らせて、なにがわるいのよ、と居直ってみせ、でも心の中ではいつも自罰していた、あのころ。

いかに苦しかったか、わたしと付き合う大人たちも大変だったろう、だけどわたしが一番大変だった。

合掌

 

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 姪にわたしのお気に入りの帽子をかぶってもらう。

この姪とわたしも血のつながらない、姪と叔母どうしである。

亡くなった叔母とわたしのような関係にならないといいけど、と時々思う。