無理矢理、開館時間ジャストに着くように家を出た。
今年二度目の神奈川近代文学館。
かつて、図書館司書の資格を取るための講習で知り合った、当時まだ大学生だった女の子は、どうしても近代文学館に勤めたくて、夏休み中アルバイトをして自己アピールをしたそうで、努力叶って倍率をくぐり一発合格。
私のほうはせっかく取得した司書資格を活かす前に、図書館を退職し、退職したあとしばらく文通したり、たまに会ったりしていたが、どうもむこうはしぶしぶだったような。
その彼女も、いまごろはもう退職しているだろう。
私が文学館に足を踏み入れたのは、一昨年前の宇野千代展のときが初めて、それまで行きたいと思っても、とうとう行かなかったのは、なんとなく彼女のことがあったからかもしれない。
意味不明な心理だが、わたしはそうなのだった。
次が今年四月の与謝野晶子、そして今回が三度目のポール・クローデルである。
寒い日曜日であった。
朝九時、アメリカ山公園にはひとけがなく、文学館も閑散としている。
ポール・クローデルの膨大な仕事。
写真も多いし、文字も多いし、
入り口に、カミーユが作った弟の胸像があり、ブロンズのひんやりとした輝きの奥に、カミーユの弟に対する愛を感じる。
カミーユが悲しい。
ポールの上に終生姉の悲しみがあったのではなかったか。
カミーユ・クローデルの映画。
あの女優さんだれだっけ、ロダン役のあのひと、最近ロシアに亡命したひとの名前・・、夫と頭をひねるが出てこない。
なるべくアイフォンを使わず、脳細胞を駆使してみるが、とうとうイザベル・アジャーニもジェラール・ドパルデューも記憶の表面に浮いてこなかった。
そのころ親しかった友人の勧めだったか、イザベル・アジャーニがカミーユを演じる映画をそのころのVHSで見た。
最後にカミーユの実際の手紙の文面が流れる。
どこも異常のないようにみえる手紙の末尾に、いきなりロダンが自分の作品を盗んだ、ロダンは悪い奴だ、と読み上げられる、と、
ああこのひとは病んでるんだ、とぞっとした。
でも、わからない、ほんとうのところ、ロダンがカミーユの作品を盗み、愛人関係にあり、助手を務めていた女性を、
「ただのあたまのおかしいおんな、事実無根!」
と発信すれば、世間はもちろんそっちを信じただろう。
ME TOO運動のいまでも、なかなか難しいかもしれない。
夫のアルジェリア勤務時代、日本はバブルでパリでもどこでも日本人がいっぱいいた。
ひとりで地図を持ってロダン美術館まで行ったとき、大柄な身なりのよいアメリカ人の男から「ジャップ」とつぶやかれた。
かたわらに、同じく身なりのよい大柄な妻がいて、そちらもこわばった顔をしていた。
大柄で身なりの良い、裕福な白人。
え?
まさか・・私が日本の教科書で習った平等な世界が、歪む瞬間であった。
そして、私はロダンの作品から漂う男権主義がとてもいやで、ロダン美術館のなかに展示されていたカミーユの作品にほっと息をついたのであった。
「象はわすれない」というアガサ・クリスティーのポワロシリーズのなかに、母親が電気ショックや冷水風呂の精神療法(療法って?)によって、精神を病み亡くなった、と医師を冷水風呂に溺れさせて報復するシーンが出てきて、カミーユもこんなことされてたのかもしれない、と酷い気持ちになった。
クリスティーがいつの時代を背景にして書いたものかわからないが。
クリスティーのほうが、カミーユ・クローデルより26歳ほど若いし、長生きしたから33年遅く亡くなっている。
アガサも、カミーユのように母親から愛を受けなかった。
ポール・クローデルが、自分の国に帰国して、原爆投下を知ったときの衝撃と、日本への心配が書かれた手紙が、彼の残したたくさんの詩作、戯曲、手紙の展示の最後、出口付近にあり、読みながら、今回の震災と原発事故のあと日本に帰化したドナルド・キーンのことを思った。