BSで三島と川端のドキュメントをするという。
ナビゲーターがいやなやつだし、きらいなゲストが出演するので録画しようかどうか少し迷ったが。
私は川端という大作家がとくに好きではなく、「伊豆踊り子」「雪国」など、なにか私には気に入らなかった。
この作家についてのネガティブな感情はどこからきていたのか?
予備校時代にベ平連の講師が、自殺したあとだったが、川端に対して政治にも介入していたとか、自殺しなくてはならないウラ事情があった、とか薄笑いで悪口を言っていた。
それに影響されたのか?
かれに「こずるい」というような印象を持っていたのは、そのせいか?
どこがいいのかわからない、と思っていたのは、なんの小説だったか、古い長編小説を持って、フランスのブルターニュからパリに帰る列車に乗った。
正月休暇のころだ。
私たちは、イスタンブールに住んでいて、日本の休日とイスラムの休日の両方の休みを取ることができた。駐在していたひとたちの置いていった本が山ほどあって、読んだことのなかった本やビデオにであえた。
長い車中、文庫本を楯に乗客の目から自分(自意識)を守った。
本さえあれば、そこに集中していればよかった。
ところが、通路を超えたむこうの座席からじーっと私を見ている女性がいる。
かたわらの学生らしい男性は、隣りの女性など自分と関係ないかのように自分の本に没頭している。
女性の方は、男にしなだれかかり、彼の髪の毛や顔をときどき触っているが、男性のほうはまったく無視。
このふたり実は他人?
と思うようなフシギな光景。
この女の人は、男にへばりつきながら、遠慮会釈なく東洋人である私に視線を送りつづけた。
その目は、もちろん失礼なものである。
私が東洋人でも、もし男であればあんなふうに見続けることはなかっただろうし、白人女性だあれば、もちろん許されない。
近づいていって、「あなたなにか?」とにこやかにていねいに言われるのがオチだ。
私は、せいぜい川端の文庫で眼差しをさえぎることしかできない。
四人がけのコンパートからべたっとした若いどちらかといえばきれいな白人女性から見続けられた。
私は、なんとか本に没頭しようとしたが、あまりにもつまらなく、ストーリー展開に整合性がなく、しばらく読み進んで、前に戻るようなわかりにくい部分もあり、あとがきに新聞に連載された、とあったので納得した。
ドキュメントの冒頭で川端のおいたちがアニメーションで描かれ、瞬時にして父が、母が、祖母が姉が消えて青年と祖父のみになる衝撃の図。
届いた作品を読んで衝撃を受けた。
一貫した喪失の記。
父母を敬うこと、を第一に教えられる文化のなかにあって、親のない子の立場、あっというまに祖父以外の血縁を失い、十四歳にして祖父の介護をしながら英語の試験勉強をしていた少年。
このひとが死んだら、天涯孤独だ、という少年は、先だった父母への喪失、父母が亡くなったあと親戚にもらわれた姉の死とも、いまでいえばグリーフが済んでないうちに次々と亡くなる。
グリーフのために、書くことしかできなかったのではないか。
死の床の祖父を前にした赤裸々な描写には胸が打たれる。
パリのモンパルナス駅に着くと、ふたりがペアであることがはっきりする。
ふたりは並んで私たちの前を歩いていく。
女性は、男性の腕を取り、男性は学生風のカバンとボストンとを持って。