2019年度はじまり

新しい年度がはじまった。

毎日の仕事ではないのだが、続くときは続くこの仕事。

夏と春は比較的時間があくので、疲れてくるとあと何回でしばらく休みだ、と回数を数える。

ひまになったらあれもしよう、これもしよう、と頭で描くのだが、ほっとしたとたんにたいていどこか具合がわるくなる。

今回は、休みに入った日に喉が痛くなり、ひどい炎症で声が出なくなった。

仕事開始前日まで不調が続き、なんだよ、こんな声で仕事できるの?

というかんじだった。

 

新二歳児は、一歳児のときに何回か、年長児さんが外出のときに活動したので、一度もできなかった去年に比べてほとんど三歳児さんと変わらないほどよくできる。

四月に新しい体制となり、保育士どうしの連携が自然に行われているようで、子どもたちもまとまっている。

おとなどうしの空気が、じつによく子どもに響く。

つくろいようがない。

 

「進級した」という意識が子どもたちをしゃんとさせ、自信を持って表現できるようになっている。

一学年の進級にそんな効果があるとは、自分や自分の子のときに意識しなかったが。

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定食屋さん

荻窪の定食屋は、一時半を過ぎているのに満員で、外ですこし待つ。

二人がけのテーブルが四台密集し、あとはカウンターの狭い店内。

やっと空いたテーブル席に座る。

ずらっと並んだメニューがしぶい。

豚生姜焼き定食、鳥の唐揚げ定食、ハンバーグ定食、焼き魚定食などなどに小鉢が付く。

私はホッケの焼き魚定食をチョイス。

隣りでひとり定食を食べていた男性が出ると、そのテーブルに外に並んでいたカップルが席を取った。

あやのお父さんってなにしてんの?

都庁
都庁ってもてるだろうな。

うん税務関係。

ふーん、行ったことあるの。

ある、一度新宿出たとき、でももう来るなっていわれた。

 

都庁ね〜、と私は思っている。

 

で、あやのお母さんとは離婚したんだ、新しい女の人とは再婚、事実婚?

再婚したみたい。再婚しているのお母さんだけ知らなくてさ、戸籍取りに行ったらバレて電話かかってきた、子どもたちは知ってたんだけど、聞いてないフリするの大変だったよ。

お母さん知らなかったんだ。

うん、お母さんだけ。

そりゃあ頭にくるな。

うん、キレてた、あんたたちにも知らせないで再婚するなんてひどいって、いやこっち知ってたんだって。

(笑い)会ったりしないんだ、お父さんとお母さん。

あんまりね、でも一度ふたりで居酒屋行ったって、聞いてなんで?と思った。

 

昨日から酒しか飲んでないから、これ初めての食事。

(男性はハムエッグ定食。目玉焼きが二個)

からだにわるそう。朝ごはんとかどうしてるの?

朝はマック。

マックっておいしい?

朝はマックが多い。あやと酒なしで飯喰うの初めてだな。

そーかも。

 

男性の巧みに相手から話しを引き出す術は、とてもシロウトのものではない。

水商売とか、ホストとか、多分女性相手の接客の熟練を積んだひと。

 

席が密集する定食屋で、個人情報が満載。

先に席を立つとき、ちょっと頭を下げると、即頭を下げてくれる如才なさ。

女性のほうの容姿が少し気になった私は、お勘定を済ませて外へ出てからガラス越しにチラ見。

髪が長く、赤い口紅をつけた美人系。

いかにももろそうな。

 

最後に入ってきた年配の男性は、カウンター席にどっしり座って、ビール、トンカツ、ほうれん草のおひたしを注文。

常連客のようだ。

店の外には、まだ並んでいる客が居た。

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お花見

ここ数年一緒にお花見をする友だちから「今年はどこにしましょう」と年賀状が来ていて、去年も一昨年も彼女に行き先を決めてもらっていたので、今年はたまたま新聞でみつけた「墨堤」にしよう、と思った。

新聞をコピーし、友人に渡し、待ち合わせ日時を決めるまで、ややためらいがあったのは、

親しくなるともつれてきて、もつれる程度ならまだ良い、放置すればほどけてくるが、完全に決別する、ということもたまに起こる。

墨堤へ初めて一緒に行った友だちとはもう永久に会いたくない、と思っている。

場所がわるいか、と思ってみると、そういう場所はけっこうあるから、場所の問題じゃなさそうだ。

 

朝早く出かけた本所吾妻橋は、ひとつ手前の浅草で乗客が降りてしまい、さっぱりしたもので、駅からまっすぐ隅田川の土手に出て川上へ歩くと、風は強いがすかっとした青空のなか桜の花が寒そうである。

もう満開をすぎてしまったなのか、まだ咲ききっていないのか、わかりにくいが葉が出てないのでこれかららしい。

屋台は出ているが、花見客はゼロ。

ときどきジョギングするひととすれ違う。

桜橋の向こうの橋の近くに以前勤めていた職場がある、と彼女が言う。

近所から通う江戸っ子が白鬚橋をひらひげばし、と言っていた、と笑う。

 

土手を歩いて言問団子を目指すが、行き過ぎてしまう。

この風雅な墨堤は、なんと高速道路の高架下になっていて、なんの工事か工事用のシートが邪魔で土手下が見えなくなっている。

歴史的な名所であるこの土手の真上を首都高が通っている。

ひとりで歩くのは不気味だろう、と思うようなひっそりした工事現場を通って団子屋へ引き返すと、閑散とした地域は「向島」と表示されている。

広い通りに面してところどころある桜の木は、川沿いの桜より花がひらいているようだ。

 

言問団子屋で失敗した。

子どもが同い年で、ん?競争関係?なの?と感じることがある。

あちらはしっかりもので、こちらはおちょうしもの、キャラクターの違う子どもの親で、もちろんむこうは自分の子のほうが優れている、と思ってるし、私は比べられるのが苦痛だ。

同い年の子が居ても、お互いに褒めちぎり合う、という関係ではない。

子どものことを聞かれて、ついしゃべりすぎた。

後悔したがもう遅い。

言うんじゃなかった。

 

絶交になってしまったあのひととも、このひととも、私が自分のことをしゃべりすぎなければ、問題は起こらなかった。

向こうが打ち明ける話しにだけ相槌をうっていればよかったのが、聞くばかりだったのが、私のほうも話しだしたらとんでもない展開になった。

向島という母とゆかりのある場所に来て、私は急に、そのときはまだ会っていなかったふたりの姉を思い、母の一度めの結婚の話しをした。

批判というのでもないが、急に説教口調になった。

ものの見方を変えるといいよ、とかひとを恨んではいけない、とか。

それも「母がね、こう言うのだけど」と言いながら。

それまで愛想をつかしていた「母」のはずが、急に自分の意見の代弁者になっている。

「過去をほじくっても変えられないよ」

など。

そんなことを思い出して、方向を切り替える。

 

長命寺の桜餅を買い、見番通りを歩き、まねきやさんのシャターが閉まっていたのが残念だったが、すみだ郷土文化資料館をさらっと見てもまだ昼前。

言問団子がまだ胃のなかで甘ったるい。

昼食前に彼女の勤めていた石浜まで墨堤を上ってみることにした。

団地や大型スーパーや、老人ホームがバス通り沿いに並んでいる。

さっさか前を歩く友だちが、昔のなにを思っているのかわからない。

とくべつ懐かしそうでも、当時をなつかしむという風でもない。

 

さて職場探検も終わり、浅草へ出るか南千住に出るか、ということになり、私は浅草の明るいにぎやかさに触れたくて、浅草へ行くことにした。

浅草へはバス。

バスを降りたのは東武の浅草駅で、浅草から少し遠い。

バスを降りてすぐのレストランに入りたそうにする、通り過ぎようとすると引き返すので、ここ気に入った?と聞くといや、あっち行くと混んでいそうだから。

並びの和食屋さんに入った。

外国人が多いようで、なんと二階にはイスラム教のお祈りのスペースが完備されている。

トイレ行ってくる、と二階に行った友だちがお祈りの場所がある、と言うのでえ?と二階に行くと、二階は川沿いのすばらしいロケーションで、外国人のお客が八名ほど窓ぎわの横長のテーブルに座っている。

女性は髪をすっぽりスカーフで巻いている。

トイレの入り口前に絨毯を敷いた狭い空間があり、紛れもなくお祈りの場である。

 

どうする、浅草寄って帰る、と聞くともういい、と彼女。

えっ帰るの?と驚くと笑っている。

ちょっとだけ行こうよ、と仲見世をほんの数ブロック通過して、帰途に着いた。

13500歩の花見が終わった。

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アカハライモリ

アカハライモリのカメは(カメという名のアカハライモリは)小さなエサをひとの指から食べるようになり、このまま慣れるのかと思えば、そうでもなく、水中に落としてやっても別な方向を探したりして、どうも学習しない生き物のようだ。

 

実は、このカメはメスのアカハライモリで、一時オスのアカハライモリと一緒に飼っていたのだが、このオスはある日水槽を脱走し、みつけた夫がなぜか庭に放してしまった。

夫には、以前ヤモリが猫にいたぶられて部屋の隅にほこりまみれでぐったりしているのを見つけ、庭に逃がそうとしたがもう死んでいた記憶があり、

猫はべつにいたぶるだけで、ヤモリを食べるわけではない。

ひでぇなぁ、と夫はがっかりしていた。

そのときのことがあったので、水のなかでしか生きられないアカハライモリをヤモリと間違えて大急ぎで外に出してしまったのだ・・。

 

その夜「たいへんなことをしてしまった」

と意気消沈して二階に上がってきて、先に休んでいる私はどうしたの、とねべけまなこで聞くが、うーっとうなってそのまま寝てしまった。

 

一匹になったカメの元気がなくなって、ただでさえじっとしていることが多く、斜めに浮かんでいたり、へんな角度にねじれて水中にぷかぷかしたりしていると、

「あーっ死んでるー」とちょいちょいまちがえるのだが、暖かいのが苦手な生き物で、夏のあいだは保冷剤を水槽にかぶせて水温があがらないようにしていた。

それがガスストーブを点けるようになって、暖かい空気が滞留する部屋の角に水槽があるのが気になっていたのが、ついに動かないだけでなく、エサを食べなくなった。

あわてて水槽を玄関に移して様子を見ていたが、娘は死んだら桜の木の下に埋めよう、などと気の早いことを言う。

ひとつきほどエサを食べず、従ってフンもなし、ポンプから濾過した透明な水のなかで相変わらず生きているのか死んでいるのか。

 

いっきに気温が上昇して春めいたある日、突然ばーんという音が台所から聞こえてきて猫が脱兎のごとく目の前を走り去って行く、あわてて台所に行くと真っ黒い虫がひっくりかえってバチバチいっている。

この蜂は後からクロハナマル蜂であることがわかる。

猫は蜂に刺されたかもしれない。

きゃあーっと叫んだ。

蜂はほとんど死んでいた。

のんきに毛づくろいしているところを見ると猫が刺されたようでもない。

やれやれ、と思って外のゴミ箱に蜂の死骸を捨てて、玄関に戻ると、玄関のタイルの上に赤いものがごみだらけになってうごめいている。

よく見ると、アカハライモリ??のようなのだ。

水の中で見るのと、外で見るとのは大きさも色もちがっている。

あ゛あ゛あ゛と、あたま、こころ、からだ、ががばらばらになり、このいきものを手でじかにつかむことに抵抗があるが、そうも言っていられない。

つかんでみると意外に固い。

玄関のほこりにまみれたアカハライモリに息をフーフー吹きかけてほこりを飛ばし、水槽にぽちゃん。

けっこう元気に泳ぐ。

 

数日後、もやもやしたものをかぶっている。

いよいよ死んだのか、と思って娘に言うと、水槽に見に行った娘が、

「ちがうよ!」

と叫ぶ、

「これ脱皮だよ!」

え゛え゛え゛だ、だ、だっぴ!

わが家のアカハライモリ・カメは、脱皮したのだった。

剥けた皮が、アカハライモリそのままの姿で、水底にゆらゆら沈んでいる。

脱皮するので、不調だったのか。

一歩前にすすむためには、じっと停滞する時間が必要なのか。

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会話

土曜日の東海道線車内。

ボックス席の窓側に向かい合って座る女性の横に席を取った。

なにしろ寒い。

ホームで電車を待っているあいだに冷え切ってしまった。

ふつうはボックス席に人がいる場合は座らないが、そこが暖かそうである。

ひとのぬくもりで暖をとるしかない。

私が座ると、さっと前に若い女のひとが座った。

 

電車のなかの会話の耳をそばだてることがある。

一度、中学生がカバンを下において座る登校中の電車のなかで、一番からだが小さな子が、うち毎日永谷園御茶漬海苔、毎日お茶漬けだよ、365日ずっとそればっか、一回かあちゃんに朝ごはん、ちがうもの喰いたいって言ったらキレられてさ、

などと言っているのがおかしかったし、

試験中の女子が、きょうおでんなんだよ、おでんっておかずにならないじゃん、と。

しかも、ひるのおでんって味しみてないしぃ、など。

・・そういえばおでんはおかずにならないかも、以来おでんをするたびに彼女たちの会話を思い出す。

食べ物の話しが多い。

今日も保育園の卒園式で、おかあさんへのお手紙に一番多かったのは、

いつもごはんをつくってありがとう、だった。

おいしいごはんをつくってありがとう、というのもあった。

ママもたまにはやすんでね、などというのもあった。

 

東海道線の女性ふたりの会話。

どうやらこれからふたりで静岡に行くらしいのだ。

ママ友とも思ったが、今度どこそこのギャラリー行ってみようか、アーティストで、などと言っている。

私の前のひとが、向かい合って座る、私のとなりのひとに、月一に行くキャンプの会の話しをしていてをしていて、それに誘っている。

「キャンプっていいよね、今度行く?」

「行きたい!ぜひぜひ、誘って誘って!」

・・へぇわたしはキャンプなんてだいきらいだ。

「料理上手なおじさんがいて、すごーくおいしいの楽しみで、バーベキューもいいよね」

・・バーベキューきらい〜なにを食べても食べた気がしない。

 

話し手が前のひとから隣のひとにかわって、もっぱらテレビの話し。

ふたりとも観ている番組が同じらしく、時間帯が一緒ということか。

ミッツ・マングローブの名前が大船観音を通るときに出てきた。

バラエティやドラマの説明をしている。

 

このふたり、ママ友?アート仲間?

 

あんまり親しい間がらではないようにみえた。

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チャコちゃん

中高一貫校の女子校で、急に来なくなったスズコのことを考えていたら、なぜか小学校時代のチャコちゃんのことが思い出されてきた。

チャコちゃんのあだ名は「ゾウ」

身体が大きく、どっしりしていた。

勉強がよくできて、本をたくさん読んでいた。

卒業後、一度登校するバスのなかで会って、駅まで一緒に行ったが、私がする本の話しにもそっけない返事をするだけで、目も合わせず、めんどくさそうだった。

今から思えば、あのときチャコちゃんが着ていたのはお茶校の制服で、妙なあずき色のベレー帽とベルトがふとり気味の身体に浮いていた。

小学生時代ほど大柄に感じなかったから、成長はゆるやかに止まっていたのかもしれない。

 

彼女とは小学校が一緒だったが、一緒に卒業できなかった。

チャコちゃんは小六で転校したからなのだった。

クラスの女の子数人で、プレゼントなど持って糀谷の自宅に持っていってお別れ会のようなことをしたりしたが、チャコちゃんは引越さなかった。

チャコちゃんのお母さんはきりっとしたきれいなひとで、色が黒いでぶっとした娘とまったく似ていなかった。

チャコちゃんには上にお兄さんがふたりいて、当時(昭40)大森三中、日比谷、東大というコースを歩んでいた。

祖母が、私には母がなく祖母に育てられていた、あるとき、このひとと話す機会があり、そういう教育ママの教育方針に驚いて、父に話していたのを覚えている。

チャコちゃんの成績も、作文も群を抜いていたから、母親が娘の学習も読書もこまかく管理していたにちがいない。

私はチャコちゃんから「にあんちゃん」を教えられたし、このひとの読書感想文がどこかに載って、担任から読んでみろ、と本人がみんなの前で金賞を取った感想文を読まされたことがある。

目立つことがきらいで、ひとの前に立つこともめったになかったこの小学生は、低い早口で自分の文章を読み、読み終わっるとチャコちゃんと担任のあいだにかすかな沈黙の間が流れた。

教師が沈黙をひきとるように口をひらいた。

この担任は、清水といったが、どこの出身だったのか。

ときどき重い語尾がこもった。

 

五年生から新たな担任になったのは退職直前の教師で、このひとと保護者の間には衝突があり、チャコちゃんのお母さんは先頭で教師とやり合った。

その報復として、あろうことか教師の矛先が優等生のチャコちゃんに向けられたとき、この母は転校を決めたのだ。

当時、教育委員会などどのように機能していたのかわからないが、関係各課たずねたにちがいない。

 「おまえずいぶんおとなしいんだな、母親とちがって」

などと言った。

「母親は威勢がいいじゃないか」

など。

チャコちゃんは大きな身体を椅子にうずめ、顔を伏せた。

 

引っ越したはずのチャコちゃんに、試しに電話するといつも出るのだった。

引っ越し先の住所も、あたらしい電話番号も教えられなかった。

「もうすぐ越すから電話をしないでほしい」というのも母親に言えと言われて言ったことばだったかもしれない。

歯切れのわるさに、私のほうはなぜ?どうして?をくりかえしたにちがいない。

 

チャコちゃんと私はカナダを舞台とした少女向け読み物を読み、たびだび登場する「日曜学校」なるものに行ってみたくて、あちこちの教会を探して歩いたことがある。

そのときもチャコちゃんはベレー帽をかぶっていた。

糀谷近くにシオン教会というのがあったが、アンやエミリーの通う日曜学校のイメージとはちがうのでずいぶんがっかりした。

チャコちゃんは自分がよい、と思う教会の日曜学校へ行くようになり、私は行かなかった。

 

あのとき、教師がまちがっているから転校するのだ、と言うことはできなかったのだろうか。

同級生たちをだまして学校を変わるという方法しかなかったのだろうか。

友だちにほんとうのことを言ってはいけない、と言われて転校した小学6年生の気持ち。

いまなら、その重圧を理解できる。

なぜ、偶然バスのなかで会っても素直に喜び合うことができなきかったのか、も。

 

チャコちゃんは難関の女子大付属へ合格したのだから、転校がチャコちゃんの未来にとって有益だった、ということもできる。

そのまま母親の方針に従ってぐんぐん競争を勝ち抜き、いまごろ高明な医師とかになっているかもしれない。

あるいはどこかで造反し、まったく違う生き方をいている、かもしれない。

 でも、あの小6の事件は残念だった、と思う。

おとなが子どもに嘘をつかせる、そんなことはだめだろう。

ふたりの兄も、大森三中、日比谷、東大という路線を勝ち抜いたのか、勝ち抜いたとしてももはや定年後の人生を生きているはずである。

私にとって大森三中は、勉強のできる小学生の行く受験校の中学だった。

時代が進み、役所の同僚の息子が三中へ行くというので、有名な三中、と言うと、え、という顔をしてから、窓ガラスが一枚もなくて有名なんだよ、と笑った。

3.11

不安なきもちは、どうしてだろう、と思ったら3.11が近づいているからなのだ。

今日はテレビをつけない。

ラジオもFMクラシックのみ。

それでも午後のこの時間になって、どうしても苦しくなった。

過呼吸のような、過呼吸になるのが怖いような。

桜の木の下にお線香を立てる。

手を合わせ、3.11の犠牲となった方たちの鎮魂を祈り、3.11のときは生きていたのにもう亡くなった方たちのことを思う。

だいすきな東洋さん、私のかわいいザック。

 

今夜は友だちと映画を観に行く。

「Worker's被災地に起つ」

この友だちは、数年前の3.11身の置き所のない気持ちでいた私をコンサートに誘ってくれた。

その夜、本当にひとの声とひとといることのぬくもりをありがたいと思った。

こういうときは、ひとりでいない方がよい。

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