私は夏場失業状態なので、去年は夢中で着付けに励んだが、今年は暑すぎて着付講師の毒気に当たるパワーがない。
替わりに志賀直哉に励む。
白樺派の作家は武者小路実篤以外は中学生のころから読んでいる。
有島武郎の「一房のぶどう」は心静かに洗われるようでとても好きだった。
祖母は、有島武郎のことを「有島伯」と呼び、あの心中事件にはびっくした、と言っていた。
志賀直哉は数年前に読んで、早くに母を亡くし、父親との不和に苦しみ、子どもを失っていることなど、学生のころにはわからなかったことが読みとれるようになって、泣きながら読んだ。
この夏、図書館で「志賀直哉全集1」を借りてきて読んでみる。
初めて読む作品がたくさんあって、志賀直哉というひとのことが少しわかった気がする。
「母の死と新しい母」という短い作品には、12歳のとき悪阻が原因で亡くなった母を看取るシーンがある。
12歳の少年が、座敷に座り、地続きで母をながめている。
熱を冷やすためにざんぎりに髪を切られ、意識朦朧むごたらしい姿の母に顔をみせてやれ、と大人たちから死にゆくひとの上に顔をさらす少年の怖気付いた薄い肌まで感じられるような文章である。
数ヶ月のちには早速、新しい母がくるのだが、この女性は志賀直哉の12歳年長なだけなのである。
直哉は生涯、美しく若い母を愛し、長年不和になる父との和解にもこの母は大きな貢献をするのである。
私は継母に恵まれなかったが、血の繋がらない母と子にもこういう関係があるのだ、というのは救いである。