幸田文の世界

咽喉が痛い、熱っぽい。

?もしや、と熱を測ると36度以下の平熱が36度7分。

これからぐんぐん上がって、実はコロナだったりして?

おそろしい。

明日も明後日も仕事はないのだから、コロナになったっていいじゃん、というわけにはいかない。

最愛の家族に感染するかもしれないし、自分だって死ぬかもしれないのだ。

志村けんさんのように、岡江久美子さんのように。

あっというまに病変するのがコロナだ、という噂もきく。

 

横になって志賀直哉全集を読んでいたが、重い。

手首がおかしくなるといけないので、文庫本を探す。

幸田文の「おとうと」

・・・以下内容

 雨の日、傘の修理がされていないのにじれた弟が、傘なしででかけてしまうのを、姉が追いかけて、追いついてどうするということもできないのに、先を行く弟から目が離せない。

隅田川の土手の道を浅草方向へ行くのであろう、その道には何人もの学生が歩いている。

弟の細い首、発育のよくないやせた背中を見つめる姉の想い。

ふたりには母がなく、後添えとなったひとからの愛情を受けることがない。

頼んだはずの傘の修理がされていない、のは継母への不信と寂しさを裏打ちするもので、弟はその後死ぬまでずっと不全感から自由になることはない。

小説では結核で死ぬことになっている。

実際にはチフスで亡くなっているが、これまでもこの弟のことは繰り返し書かれ、父親が怒って弟をなぐりつけようとするのを文さんが割って入って、逆に父親を押し倒してしまって、おさまりのつかない事態になった、と読んだことがある。

ご自身でも書いているが、幸田文というひとは力持ちであった。

 

私も五歳のときに実母を無くし、八歳で父親が再婚した。

継母からの庇護は徹底的に受けてこなかったが、ようやくそれを認めたのは父の死んだあと、相続の問題が発生したときで、それまではずっと信じていた。

放置されたり虐待されたりした子どもというのは、そのようなものなのだ。

 

コロナ騒ぎで、ツベルクリン接種と関係があるかもしれない、という噂もあり、日本人はずいぶん結核という病気に脅かされてきた、と幸田文の「闘」という小説を思い出していた。

このひとはみっしりと舐めるような肉感的な文章力で、「闘」という小説は結核病棟で結核という病と闘う患者の世界を描いたものだ。

読んでいるうちに気分がわるくなって、文字からだけで感染しそうだった。

 

しばらく前に読んだ梶井基次郎も、結局助からなかったが、近所の若い女性が肺病を病み、おばあさんがメダカを飲むといいとかの迷信を吹聴していた、というからぎょっとした。

祖母のすぐ上の姉が結核で亡くなっている。

嫁いださきで感染され、嫁である彼女だけ助からなかった。

休養だ、栄養だと与えられるひとは助かり、そういう立場がないひとは助からない病気だった。

 

弟と姉の距離はぐんぐん引き離され、終点近くでくるりと振り返った弟が笑顔で手を振る。

笑顔を見たら余計に悲しくて、弟が心配になった姉。

 

小説のなかでは結核になり、一度助かりそうになったのが、再発してとうとう死ぬところで、わあわあ泣いてしまう。

どこが悲しかったのか、といえば一家のなかで一番弱かったものが先に死んでしまう哀れさもあるが、告知などとんでもない当時のこと、父親(露伴)が隠れて病院に寝泊まりし、いよいよというときに息子にかけることば、「わかるか」というと「おとうさん」と答えた、というくだり。

 

じわっと汗が出てきて、検温すると36度にもどっていた。

とりあえずよかった!

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