日暮里の駅ナカの本屋の入り口に背の高い女の子が立っている。
パリの彩子に似ている。
髪型も黒ずくめのフアッションも彩子とは違うのに、どこが似ているのか?
はにかんだような、それでいて怒っているような、
自意識の強い、自分と周囲のへだたりをがっちりと固めているひと。
自分の主張を強固にシンプルに持っている。
シンプルにしておかないと破綻するので、なるたけ簡単なものに置き換えているのだ。
彩子の芯のよわさ、よわさを守るための意地のつよさ。
だれもがしているようにスマートフォンに顔を近づけて機嫌のわるい顔をしている。
私はかんかん照りの秋日和、自宅を娘と娘のともだちに占領されているので外へ出かけた。
ずっと気になっていた。
母の墓に、昨年死んだ養母が入ったかどうか。
生前、私の母が入っている墓に入りたくない、と言っていた。
田舎の墓に入れて欲しい、とばあさんに言ったが断られた、とも言っていた。
どうか入らないでほしい、私の母の墓に入らないでください、と私は思っていたのだった。
そんなことはふつう考えられないが、墓石の母の名前が抹消されているかもしれない。
そう思うと急に心配になった。
ふつうはしなけどな、と夫は言うが、ふつうではないことが過去にたくさんあった。
疑惑が頭を持ち上げると心臓がどきどきするほど心配になった。
とても怖くて行けない。
でも、行くなら、ひとりで行こうとも思っていた。
一緒に行って、とともだちにも頼んでいたし、夫も一緒に行くつもりでいてくれたのだが、ひとりで行くつもりだった。
こころに保険をかけていた。
強い日差しに背中を押された。
私は姫路から帰ってきたばかりだった。
日暮里駅の南口に出て、階段を上って谷中の墓地へ行く。
公園と言っても、この国で「公」と名のつくものに特有のしみったれた空間である。
たいてい浮浪者か行き場のないひとが空虚に座っている、くらくてしめった空間である。
この公園が目印で、いつも母の墓にたどりつく。
公園ごしに、墓石が変えられたり、なにごとか起こってはしまいか、どきどきしながら近づいていった。
ぽつんとなにごともなく墓石はそこにあった。
だれが供えたのかピンクの豪華な百合の花が供えられて、虫が飛んでいる。
前日、犬がスズメバチに刺されて動物病院にかけこんだばかり。
こんなところでハチにさされては大変だ。
墓石に刻まれた母の名を見ると、しろっぽくこすられた跡のようにみえる。
「やられた!」
と、私は思った。
バッグから老眼鏡を取り出して、老眼鏡をかけた目でもう一度じっくり見る。
ひょっとすると雨や風で字が薄くなってるのかもしれない。
私は夫に写メするために、隣りの墓の囲いに座ってアイフォンを墓石に当てる。
何枚がぱしゃぱしゃやる。
家から持ってきた、仏国寺の老師がくれた愛用の線香にライターで火をつける。
意外に風が強く、なかなかつかない。
養母の分はナシ。
手を合わせて、叔父の認知症がわるくならないように、私のだいすきなひとたちが元気でわるい目にあわないように、祈る。
それから、南口が開かれていないずっと昔、私がまだ小さい子供だった時代に通った道順で墓のなかを通って日暮里駅の正面に向かった。
墓参りに来て、よく叱られた。
うるさいとか、はしゃぎすぎるとか。
ほかの子供たちのようにおとなしくしろなどと祖母は眉をひそめた。
いろんな家のいろんな墓がいっぱい。
どこに入ったって同じ、という気にもなる。
谷中銀座を歩いてみる。
すぐに帰ると娘と娘のともだちがいやがるので時間を潰さなくてはならない。
ここに、だれかと一緒に来た、にしだだったか、理解できない、男ともだちの話をされて、聞き返して話を整理しながら聞いた気がする。
よく思い出してみたら、にしだではない、絶交したうしやまである。
うしやまは、昔の男ともだちの話を自慢げにするひとだった。
もてた、とでも言いたかったのだろうか。
ひとりで反芻している昔のできごとを、話している、というふうだった。
どんな話しだったか忘れてしまったが、
で、そのひとはどうしてるの、と聞いたら、「知らない」という答えだったことだけ覚えている。
谷中銀座は、よくテレビの食レポなどでやっているが、なんの風情も歴史も感じさせないごちゃごちゃしたほこりっぽい通りで、ひさしぶりに来てみると、「古い東京の下町」で売ろうというポリシーも、商店主どうしまとまっていないらしく、コンビニや百均などができていた。
ひょい、とメインの通りを細い路地に入ると、古いアパートがあったり、売れない芸能人のポスターを飾った倉庫があったりする。
母は上野桜木の生まれで、この近辺に縁があった。
谷中から上野まで歩きたかったが、自信がないので駅に引き返した。
母はふところの広い、困ったひとを助けるひとだった。
実家の墓に拒まれた養母に、くるな、と言うことはないだろう。
同情をもって、どうぞここにお入りなさい、と受け入れるに違いない。
私の母が母のようなひとであり、養母のようなひとでなくて幸いだ。
養母にとっても幸いなことである。
母は自分のお節介で娘が紛糾しようが、お節介を貫くひとであった。