お台場で「ボヘミアン・ラプソディー」をまだ上演している、というというので行ってみる気になるが、映画館のクーラー事情を考えて、やめにした。
すると夫が、アマゾン・プライムで100円で観れるよ、というのでこの三連休最終の日に家族シネマ会。
期日前投票の帰りに、コンビニでアイスクリームとポップコーンふた袋購入。
なぜか、クイーンというバンドは、ちゃんと聴いたこともなかった。
あの当時、化粧をして女装したロックバンドにひいていたかも。
保守的にも。
なまなましさを加工して、つらっと観れるから、何度も観た、というひとの気持ちがわかる。
いろいろ問題が立て込んできて、こんなワケないだろう、と思うが、そのへんはさらっと流している。
深みには欠けるが、つらい話しが簡単にすむおとぎ話のようである。
観終わったあと、ホンモノの映像が観たくなってYouTubeを探すと、Live Aid の本物の映像と映画の画面が半分こ同時に出てくるものがあって、何度も観る。
そして、フレディー・マーキュリーの類い稀な歌と身体表現は、映画をはるかに超えてすばらしい。
バネと弾力、しなる身体、伸びる身体、その躍動感たるや。
それに、実物のかれは、映画のかれのようにブサイクではない。
歯だって、そこまでひどくないだろう。
ついでにLive Aid の画像を続けて観るころには、セブンイレブン製のポップコーンの味に飽きてくる。
1985年。
ジョージ・マイケルは、アルジェリアにいた頃ヒットしていて、アルジェリア人に人気があり、でもCD(いや、まだカセットの時代だ!)はかれらの手に入らない。
テニスの先生が国外に出て買ってきたジョージ・マイケルのカセットを仲間に順番に貸していた。
つぎは、だれとかそのつぎは自分とか、そんな話しをアルジェのテニス・コートで、日々失業中でやることのない若いアルジェリア人たちが話していた。
自由に国外に出られるムッシュはみんなのあこがれであり、ムッシュのほうは自分の立場をよくわきまえて、細かく気を使いながらできることはしてやっていたのだ。
陰口を最小限度に抑えるために。
ジョージ・マイケルがゲイであることはまだ公表されていない。
私たちが親しくつきあっていたひとが、ゲイらしいことを感じながらもはっきりしたことは知らないし、どこかでそんなことありっこない、とタカをくくっていた。
たとえばミシェル・フーコーがフランスの政府の役職で来日した際、いまだったらとんでもないことだが、あなたのような同性愛者を国の代表としてフランス政府は送り込むのですか、と質問をした記者がいて、たぶん朝日新聞の記者だが、その答えに大笑いしたフーコーが「フランスは、フランス製なら毒でもなんでも他の国に送るんだよ!」と言ったとの記事を書いてあったのを、かれに言うと「ぼくもそれ読んだ」と言った。
私がかれがゲイかどうか試している、と思うような品のない態度だった、と思う。
このLive Aid の映像を観るまで、私はデイヴィッド・ボウイやU2がなぜすばらしいのか知らなかった。テレビからながれるP Vでは知りようのない、歌うときの表情や身体の動かし方、腰やひざをくいくいやったり、鳥のように軽くフワッと舞台から一段低い、観客に近い段に降りたって、歓声を浴びながら、それに答える表情が美しい。確率されたスタイル、ディヴッド・ボウイであり、U2である、かれらたらしめている歌い方だったり、身体つきや表情がひとびとを熱狂させる、中には失神してしまうひとがいる、そのことがよく理解できる。