今朝、昨日のレッスンのテープを聴いて、上手くはないだろうけど、私の声は少し変わってきたような気がする!
前のレッスンの録音と比べてみる気になった。
自分の声よりなにより、前の先生の声、こんなつめたかった?と驚いた。
つめたく聴こえる声は、ソプラノになってもやはり硬質な感じが核にあって
「上手く聴こえない」
私の声は、何度も繰り返し言われたように、「喉で歌ってる」。
コンコーネの苦しそうな声。
「上手く聴こえない」とは、私のピアノに対して言われたことばで、上手くないと言ってもらったほうが良いのに、といたく傷ついた。
ほんとうは、なにが言いたかったのだろう。
私を傷つける目的があったわけではないだろうから、って、
もしかすると深層のところで傷つけたいというのがあったのかな?
そもそもその先生は、私を他の先生に回したかった。
お断りしようかと思ったんです、とわざわざ言われたとき、止めようかな、と思った。
こんな歌い方なら、歌わないほうがいい、と。
歌いずらさはあったが、自分の歌がそこまでとは思っていない。
歌わないほうがいい、とまでは。
新しい先生は、とにかく明るい。
心から明るい。
その先生の声が聞きたいだけで、行きたいと思う。
元気になれるから。
歌はそうじゃなくっちゃね。
前の先生で元気になれるひともいるのだろう。
そして、その先生もそういう生徒なら元気になるのだろう。
シューベルトの「音に寄せて」をドイツ語で歌う、ところまでようやく来て止めることになってしまい、しばらく引きずって悶々とした。
新しい先生とは、一からやり直し。
コンコーネも一桁から。
新しい先生になってしばらくは怖れのような感情があって、行ったり行かなかったりだった。
今から思うと、なのだが、ずいぶん疑り深くなっていた。
心底傷ついていたのだ、といまさら気が着く。
「それがいまの自分に結びついているのだから、過去もよしとする。」
という立場に私は立たないのだが。
以下、2015年2月のブログ・・。
声楽の時間、心にどっとわだかまる言葉を投げられて久しぶりに頼りないような、ひとりで立っていられないような気持ちに襲われ、
少し迷ったが、御歳九十三歳の伯母に電話をかける。
実はね、と歌の話をすると
「あらまだ続いているの、えらいわね」と言う。
若い頃から琴をはじめ、長唄、謡、詩吟と続き、最後は新内でくくったひとである。
こういうことを言われた、と言うと、
「そんなことを言う先生はおかしい」と私の味方になってくれる。
携帯を切ったあと、六年続いた歌のレッスンをやめる気になっている。
気持ちの問題でやめたら、この六年の積み重ねがフイになる、という思いもあり、もういっぺんだけやってみよう、と未練たらしく、最後のレッスンに臨んでみた。
翌日声が出なくなっていた。
まったくに枯れてしまって、喉から音声というものが一滴も出ない。
数日経っても治らず、日中は出ても夕方になると枯れてしまい、がらがら声になった。
出ない声で、現場に行った。
あんなに心踊る歌のレッスンがいつからか、終わっても良い気分にならなくなった。
難しいところに来ているということもある。
シューベルトの「音楽に寄せて」をドイツ語で歌う、という夢の途中である。
そこで挫折するのはいかにも悔しい。
でも身体が言うことを聞かないのだから、仕方がない。
自分が変わったのか、先生が変わったのか、終わるとすっきりして晴れ晴れとした気持ちになった声楽が、否定されたようなもやもやが残るようになった。
「音痴のひとだって歌っていて楽しければ音楽なのよ」
と、伯母はずいぶん下のレベルから例を持ってきて姪を励まそうとする。