北公次

フォーリーブス全盛期に中高校生だった。

マー坊だの、ター坊だのきいきい騒ぐクラスメートを《おろかしい》とななめからみていた私は、芸能ニュースにも週刊誌にも無縁だったが、

それでも北公次についてはどこかネガティブな印象を持っていた。

脱退したとか、(へんな)本を出版して世間を騒がせているとか、なんとなく聞こえていたのか。

暴露というコトバのもつ後ろぐらさ。

暴露しないでどうすんだ、という話しだろう。

コテコテに嘘で固めた世界をどこかで抜いていかないと、そしてほんとうのことを言おうとすると一斉にディスられる。

34年たって、やっとここまできた。

 

こんなにも自然に印象操作させられていたのか?

仮にファンであれば、真相を知ろう、と探ったかもしれないが、だれのファンでもなく、低俗な芸能に興味ない、というすました顔をしながら、加害者からの目線でみていた、ということになる。

 

YouTube北公次くんがジャニ北川を訴える美しい顔をみる。

https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/701383

幅広のヘアーバンドから、もつれる髪の毛。

怒っている、

まっとうなことを言っている。

いまになって全てが本当だった、とわかる。

 

英国BBCで取り上げらる、というのでBBCを録画したが、字幕も翻訳もなかったのでよくわからなかった。

時間を経て二カ国語になった。

国際ペンクラブでの記者会見では、ほつほつとしかひとがいなかった。

なぜ日本の問題なのに国際記者クラブなわけ?

それからまたずいぶん時を経て、被害者のかたたちの会ができた。

国連の人権委員会では、芸能と同時にシリアスな内容に触れていた。

原発事故の処理をさせられている労働者の健康や保障の問題である。

 

口調に西の訛りがあると思えば、なんと和歌山県の田辺である。

田辺は、今月でとうとう101歳となる大伯母の最初の夫の出身地である。

大伯母が、夫の母とスイカを持って、大阪から臨海学校で来ていた父を訪ねた場所である。

 

 

 

 

 

 

「外套」ニコライ・ゴーゴリ

YouTubeで「外套」を聞く。

「外套」は、むかし薄い文庫本で読んだ。

中学に入ったころロシア文学に傾倒した私に、「お前、外套を読んだか」だったか「読んでみろ」ではなかったと思うが、父が聞いてきた。

父はいくらかロシア語ができた。

「かわいそうだぞ」と笑うような、泣くような少し赤いへんな顔をした。

そう言われて、ほんと、かわいそうだね、と相手に合わせる感想を言うわけはないから、中2娘は「べつに」というような態度ではなかったか。

 

55年ぶりで読んでみたら(聞いてみたら)

ちょ、ちょっと、かんべんしてよ、というような悲惨にも悲惨に弄ばれる善良な被害者があくまでも、ずる賢いやつらに冗談のようにいたぶられたのち命を取られる話しである。

主人公は、言わずとしれたアカーキー・アカーキエヴィッチである。

父は、アカーキー・アカーキエヴィッチとよく連呼していた。

イミもなく好きなコトバというのが我が家にはあったのだ。

 

私も、実はロシア人の名前にはつよいほうである。

「三匹の熊」子熊のミシュートカ、母熊のナスターシヤ・ペトローヴナ、父熊のミハイル・イワノヴィッチと名前をうまく発音できる。

ロシアの長編を読む際は、登場人物の書かれた最初のページを繰り返し何回も何回もめくる。

 

ところが、YouTube朗読の朗読者は、アカーキー・アカーキエヴィッチをアカーキー・アカーキエウィッチとあくまでもウに濁点をつけてくれない。

ウに濁点をつけない代わりに、どうもカ行がやや濁っている。

べつにアナウンサーの朗読ではない。

こちらは無料でありがたく聞いているのだが、

ウィッチというと魔女のようで、ヴィッチといえば忽然とロシアの名の母方の姓になるのだ。

 

アカーキー・アカーキエヴィッチがわるい奴らに復讐するのは死んだあとである。

アカーキエヴィッチの復讐劇は幽霊になってからのことである。

 

ゴーリキーは、ロシアだけでなく、ヨーロッパの作家たちにも大きな影響を与えた作家らしい。

革命前のロシアにおいて、虐げらるひとの側に立ち、社会の上層にいる欲にまみれた官僚、その体制もすきっと目に見えるように描いている。

困って訪ねて行った窓口をたらいまわしにされるのも、待っても待っても通されない部屋にやっと通されたところ、問題をはぐらかされたり、アルアル、と21世紀のトーキョーで思う。

 

ロシアは、ゴーゴリトルストイドストエフスキーツルゲーネフプーシキンなど素晴らしい文学を生み出し、そして素晴らしい音楽を生み出した国なのに、

なぜ、と思う。

きらきら煌めくロシア文学や芸術を生み出した作家たちの苦労は報われないのか。

これからなのか?

それともなんにもならない、ということ?

ロシアの大地に眠るかれらの目は、さらに遠く、さらに高いところでひかっているのか。

ただ、わたしにわからないだけで。

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集会

土曜日の夕方、私鉄にからJRに乗り替え、さらに代々木で中央線に乗って外苑の森絵画館前へ向かう。

そういう場に行ってみる気になったのは、あんまりだ、と思う事柄がかさなったからだ。

そういう場へ行くのは、何年ぶりだろう、と考えると40年?

五本の指を使って数えなおすと、いや50年ぶりだ。

 

放射能の汚染処理水を海へ放出する、

ジャニ問題、

宗教問題、

破滅の道を米帝国主義(古いか)に追づいしている。

はからずもデヴイ・スカルノという女性性を全面に売ってのぼりつめた成り上がりものをして、

《みっともない、日本はアメリカの犬、しっぽをふって》といわしめたそのことばどおりである。

黒大物亡き後もなにも変わらない。

「結局なにも変わらない」というのは私にとってのキイワードである。

「なにも変わらない」というのは、私の望んだようには変わらない、ということであり、

「なにも変わらない」

など、物理的にもありえない。

万物が宇宙の進化とともに変化しているのだ。

愚かなわたしの愚かなあたまには垣間みえない、ということでしかない。

 

初めて集会へ行ったのは、10.21国際反戦デーである。

後からわかったことだが、この女性ばかりの団体には実は政治性があったのであるが、なにも知らずに友人の親戚がらみで、のこのこ出かけて行ったのであった。

このとき政治権力という力の存在を体験した。

衝撃であった。

 

もう今は70なので、あまり怖くない。

この50年間、私はなにをしてきたんだろう?

道すがら思い、思い、

電車のひとたちがいつもと違ってみえる。

一緒に電車に乗ったひとたちが、みんな外苑の森を守る集会へ向かっているような気がする。

 

間違って千駄ヶ谷で降り、何回か乗車拒否されたのち、国立競技場に乗りつけたお母さんと坊やが降りたタクシーに乗って、信濃町の外苑の森絵画館へ行ってほしい、というと運転者さんは知らない。

住所わかりますか?

いや、それが・・

アイフォンでフェイスブックから探そうとするが、住所というのは出てこないのだ。

「外苑の森絵画館で入力できませんか?」

と聞くと、音声入力してくれる。

「でましたでました」

と、ようやく発車。

「ここの中みたいですよ」

と停車してくれたところに「絵画館」と立札があってありがたい。

 

集会は、あっけないほど小規模で、あれ、声かけしていたひとたちの姿はだれもいない。

くらーい電子音楽に、うーうーうーとくらい声でマイクに口をつけた灰色の髪の女性が歌っている、

外苑の森に謝ろう、

この集会に来たくてもこれない生活困窮者が、今の日本にたくさんいます。

そのひとたちのためにも、

うんたらかんたら・・。

 

や・やだなぁ、このひとの哀れっぽい声、立つ瀬のなくなるような迫りかた、

こうなっちゃうんだよなぁ、見たくない現実を突きつけられたから、ということだけでもない。

わざわざ出向いてきたんだから。

 

森の木々に謝る、のは正しい。

生活困窮者がいるのも正しい。

でも、この暗い音楽をバックに、哀れなメッセージを聞くなんだかいや〜な気持ちになる。

森の木々は、どう思ってるのか?

生活に困窮しているひとたちは実際どう考えているのか?

こういうひといたよなぁ、

オバさんは蒸し暑く思う。

何人かの、活動家の顔、50年前のかれらの顔がばっちり浮かんでくる。

いまや、あのときの状態ではないだろう。

シワやシミ、たるみがどちらかといえばきれいな、ござかしい顔に刻まれていることだろう。

私のあたまのなかにいる彼女たち、彼たちはあのころのまま。

 

集まっているひとたちは、私前後の世代のひとから、若いひとたち、カメラを抱えたひと、スタッフのわっぺんをつけたひと、だいたい感じのよい、地味なひとから、洗練されたた装いのひとから、いかにも環境派というエコなドレスに帽子のひと、手拭いを首からさげたひと、と一色でない。

一時間ほど話しを聞いていたが帰ることにした。

 

なにを期待してたんだろう、自分。

期待することに問題があるのかもしれないが。

 

でも、そうか!

なになに派、カニカニ派というのがない、

若いひとたちが個人個人でマイクを持っている、そこが違うかもしれない。

50年前と。

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「限界から始まる」?

上野千鶴子鈴木涼美の往復書簡、一年間に渡るという十通の手紙。

鈴木涼美という作家は、TOKYO MXの番組で知った。

このひとどういうひと?

セックスワーカーである。

東大大学院の出で芥川賞候補となるような作家であり、両親とも文化人である。

で、どんなひと?

早めに決めたいところ、「クリスマスってきらい」と眉をひそめた顔にひかれる。

このひとかわいい、と思う。

おばさんもクリスマスきらいなので。

 

上野千鶴子大先生に対する視点が百八十度変わったのは「女ぎらい・・ニッポンのミソジニー」以降。

浦川べてるを知ったのも、自死グリーフの会を知ったのも、孤独死の現実を知ったのも、東電OL事件の実情を知ったのも、きょうびママたちが料理をしないと知ったのも、この本から。

上野千鶴子が、セックスワーカーに眉をひそめるということはなさそうだが。

いやだな、と思うのは、自らの性風俗ビジネスをウリ、同時に学歴や偏差値、ひいては親のステータスをもウリにする鈴木涼美というひとを評価するのに大先生も、彼女の親や学歴を強調しているところだ。

「沈没家族」というドキュメンタリー映画の評に、加納穂子という、息子の保育を他者にゆだねた女性の母親、つまり息子の祖母である女性学者と知り合いであるらしく、内輪っぽいコメントも気に入らなかった。

 

大先生は老獪に、無邪気な女性作家を操縦しながら自分の主張を展開している、一方、涼美氏は過剰適応に大先生のことばに反省したり、ふかくうなづいたりしながら、このひとには自分の考えや主張というものはほとんどないようだ。

ついに十回目でかみ合いましたね、と大先生はまとめようとしているが、私にはどうもそうは読めない。

性風俗ライターの作品をこれまでも読んできたが(特に菜摘ひかるの作品)両親の学歴や自分の学歴をアドヴァンテージにしているひとは初めて、

みんなどこか暗い家族史だったり、性愛のもつれだったり、捨て身の丸裸感があったが、このひとは、

あたしはそういうこたちとはちがう、

帰る家あるし、そこそこ裕福だし、親は理解あるし、

と言ってのける。

性風俗の世界を生きたことも日本の最高学府のメンバーであったことも標榜しながら、どうもただ標榜しているだけのようである。

 

私がグロ、と感じたのは、彼女が母親(絵本作家拝島かり)と喫茶店で話す内容である。

母親の容姿を称え、ブランドのファッションをベタ褒めする娘。

あなたが売春してもあなたの生き方だから、と言う母親の欺瞞。

彼女が娘を前にしてもっともらしく述べる恋愛観、人間観はゲス、

計算高く駆け引きして「成功」した自分を見て、と娘に言うハレンチ。

この母親を「品がよく、知的で話題豊富」と評する子・鈴木涼美の育っていなさ加減。

母親が、この娘を追いやったな、と思う。

 

下着を4500円で売る高校生、自分のはいていたパンツを買う男性に対する嫌悪感を繰り返し書いているが、

自分の体温の残る下着を4500円で売る自分はなんなのか。

下着を売る以前に、男性嫌悪はなかったのか?

 

いやいや娘を持つ身としてはそらおそろしい実話である。

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猫事情

1月から3月まで、パブリック・シアターの地下稽古場で暮らし、発表会が終わり、演劇ワークショップのDVDが完成したお披露目会が行われたときには、娘は同じ家に住んでいなかった。

 

4月に猫を連れて娘が出て行ったあとの、がらんとした家は淋しい。

思わぬことに、ほとんど娘の部屋から出てこなかった猫の不在が身に染みる。

さっと影がよぎったり、足元になにかが通り過ぎた感覚があると、あ・猫、と思い、ああ、もう居ないのか、と気づく。

 

小学二年生のとき、山村留学へ行かせた。

帰国して二年になるのに学級に適応できない娘を(錬える)というような意識があったのか。

送り出してから、どうにも寂しくて猫を飼った。

ブリーダーさんから一匹だけ残っているアメショを引き取りに言ったのは、八月十五日でお盆の道路はひどく渋滞していた。

猫を連れて家に帰ると、そのころいたブックという大きなゴールデンくんがとことことこと無邪気に迎えに出て、私に抱かれたアメショはふぅっーと毛を逆立てたが、気立の良いブックは猫がふざけてからみつき、肉の垂れたほっぺにかじりついてぶらさがってもへいき。

ときどきばたばた二匹が絡み合うと、大きさの違いにその気がなくても猫を傷つけるようなことがあったら、と不安がなかったわけではないが、ばたばたともつれあい、じゃれあい、二頭は相思相愛だった。

その後来た二頭が昨年末亡くなって、今は四頭目の黒ラブがいる。

アメショは、十六歳まで生きて私が看取り、その後猫のいない淋しさに娘が譲渡会でしゃあしゃあひとになつかない猫をもらってきた。

 

猫、と思い始めると頭がぶんぶんする。

さっそく、この子という子がいて、応募すると別なひとに決まりました、と断られる。

こちらの年齢が、保護主にとってはひっかかるのだ。

年齢を理由に断られるというのは、いやなものだ。

しかし、冷静に考えればこの年で、健康体とはいえない身体で、猫を欲しがるとは無責任だ、とも思う。

猫を連れて出て行った娘は後見人になるから、猫を飼え、と積極的。

知り合いの関わっている猫カフェなるものに行ってみた。

ひさしぶりに猫に触れるとよいかんじ。

もう一件行ってみる。

この子!という三歳のトラ猫に出会った。

数日後に娘と一緒にもう一度くる、ということで決めてきた。

娘は仕事のあいまに来てくれる、と言うので車でどう行って、どう送ればいいか、駐車場まで算段していると断りのメールが入った。

私はがっくり、夫は気落ちし、娘は怒る。

年齢で落とされたんだ、とまっくらになる。

なんだろう、あの感じ。

家族三人のどんぞこの落ち込み。

たかが猫なのに。

来ると決まったこがキャンセルされた、あの喪失感。

 

こうなったら、とべつの猫カフェへ。

なんだか断られ続けているせいか、カフェの女性から拒絶されているような感じて、私は気分がわるくなり、夫と娘を置いて先に帰ってしまった。

だって、拒絶的じゃん、というと

そんなことはない、とふたり。

むこうだって、引き取ってもらいたいんだし、と。

 

二度目に行ってみると、最初にかわいいと思ったこがよくみるとあまりかわいくないような気がしてきて、私は前に断られたトラ猫lossで、どっしりとおとなしいトラをみつけて、このこ!

と決めた。

三歳の丸トラのオス。

 

ほんとうに我が家にやってくるまでの怖れ。

またキャンセル(年齢のせいで)

いやこのさき、飼っていけるのか?

たいへんなことたくさんあるよ・・。

お金もかかるよ。

頭で考えれば、よいことはなにも出てこない。

 

ようやく保護活動をする女性に連れられてやってきたのが五月二十九日月曜日。

一時半の約束が少し遅れただけで、やっぱりこないの?

と心配になる。

わが家に連れてこられた丸トラは、興奮を抑えるために薬物を投与され、そのせいで朦朧としている。

洗濯ネットにまるごと入れられて、用意した二階建てケージの中で、ネットから出される。

 

三日間、まったくエサを食べなかった。

信頼している動物病院の先生に電話をすると、猫ちゃんは食べなくなることが多い、と預かり猫で1ヶ月食べないこもいた、と。

その後、ケージに置いた皿の餌のかたちが変わってきて、そのうちきれいに完食するようになった。

一晩目は、寂しそうな悲鳴の夜泣きで眠れず。

二晩目、三晩目は夫が寝てくれた。

かれは、どうもうんちがしたくなると鳴くようだ、などと分析するが、結局寝室を丸トラに明け渡して、どうも暗いと鳴くようだ、と電気をつけっぱなしにして、やっと前のような悲鳴でなくなったし回数も減って来た、というところで私は自分のベッドに戻った。

6月10日のこと。

12日間、丸トラの夜泣きは続いた。

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ゲランさま

メークアップの化粧品はゲランと決めている。

あなたくらいの年齢だったらゲランかシャネル、と若い友人からはっきりと言われたのが効いた。

10年以上前のことだ。

そして、ゲランは松屋ですよ、と。

松屋のコスメは、他のデパートの化粧品売り場に漂う女の場末感がない、というのも同じひとからのアドバイス

以来、年に一度か二年に一度くらいのペースで、松屋ゲランにメークをしてもらいに行っては、最小限度の化粧品を買い、あとはネットで購入するという方法を取っていた。

コロナで、メークしてもらう機会はなくなったが。

 

先週、紫外線よけ下地がなくなった。

ネットで調べると、これまで使っていたものは廃盤となり、ネットで買うより、ポイントを付けてくれる東急百貨店で買うのがやや得、という結論になった。

若い新米っぽい美容部員に誘われて予定していたクリームの三倍の価格のものをつい購入してしまった。

また、ゲランの魔法にかかってしまった。

ついでに、これはもう在庫が限られているものですが、

と光るような光らないような粉・ルミナイザー・をパフパフしてくれる。

これ以上は、と思い切って立ち上がったが、立ち上がってゲランを後にしてから、ずっともやもやきもちにひっかかって、

いっそ買ってしまおう!

と思う。

翌日松屋のゲランに電話して問い合わせると、パフとして使用するなら、二種類ある粉の明るい色のほうがおすすめです、と松屋の美容部員に言われる。

あとでわかったことだが、東急のポイント率が下がっていた。

松屋のほうが得のようなのだ。

こっちのひとのほうがベテランっぽい。

じゃあ明日朝伺います、と電話を切った。

松屋カードの持ち主である夫にむりを言って一緒にきてもらい、二種類の粉を試すとやはり明るいほうが顔全体が明るく見える、と夫がきっぱり。

前日電話で話した担当者はいない、

話しておいた内容も伝わっていない、

夫は5分くらいしか時間がなくて、すぐにタクシーで別な場所に行かなくてはならない。

とあたふたしていると、

あの、電話で対応したのはナニナニなんですが、どういうお話しだったでしょうか?

あやしいぞ、と思って説明すると、

「こちら在庫切れです」

もう夫がタクシーで走り去った後のできごとである。

明日、担当したものから電話させます。

 

あ・そ・

割りが合わないぞ、

話しが違うぞ、

とむらむらしながら、そのまま帰った。

 

翌日、とうとう電話は来ない。

在庫切れのものを、一美容部員の力ではどうしようもないだろう。

美容部員逃げたな、と思う。

松屋も落ちたな。
東急でも、こちらの商品は少ししか入っきてないから、ご購入されるなら予約されたほうが、と言われたが。

一応東急ゲランにも電話してみる、と明るいほう00番は在庫切れ。

01番くらめのものならまだあります。

もういいかな、一度は諦めたものだし。

 

ゲランの魔法がパワーを失う。

 

そしてその夜、ゲランの公式サイトからなら00番があっさりと購入できることになり、

さらにその翌日松屋ゲランから最初の電話対応した美容部員から電話が一日遅れで入った。

 

化粧品は、実際に肌に試してみないとわからないし、試着返品というわけにはなかなかいかないから、松屋ゲランで二種類を試せてよかったのだが、たいして混んでもいない化粧品売り場での行き違いであった。

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