養生施設

数年に一度おとずれる養生施設に行ってきた。

ここには断食目的で過去に五回ほど訪れた。

断食自体は、四十代から数回行っているが、初めて行ったときの爽快感と宗教的ともいえる体験にはその後及んだことがない。

六十を超えると、施設では断食を勧めない。

自分でも過激な断食をする元気がなくなっているのと、回復食のプロセスがしんどい。

あるいは、一日二食少量の玄米と味のない野菜のみで蛇の生殺しにされる状態もながい目でみれば同じことなのではないか、と思う。

三泊四日の日程である。

なぜ自分は、こういう場所をえらんでしまうんだろう?

なかなか時間のたたない一日、たりたりと寝たり起きたりしながら考えている。

たとえば、ディズニー・ランドとかユニバーサルとか、楽しい場所でわちゃわちゃできない気取り屋の自分、しんねりくらく、似たようなかたたちと同宿している自分を省みる。

そうだ、おもいきってディズニーへ行って楽しんでいるフリだけでもしてみようか?

と、重い心で思ったりしている。

 

八年ぶりで来てみると、新しいトレーナーの若い女性がひとりで取り仕切っている。

最初の夜の食事前の説明会のときに、自己紹介をさせられた。

こういうことも初めだった。

これまではどちらかといえば個人主義というか、ざっと放っておいてくれる雰囲気だったのに、

自由参加とはいえ、朝の散歩やヨガや勉強会やプログラミングされている。

すべてこの元気のよいトレーナーが引率する。

そうか、八年間でこのように変化したのね、とこれはこれでいかもね、と思っている。

 

参加者のなかに遠方から来ている母と娘がいて、なかなか親子参加というのはめずらしいな、と思ってみている。

娘といっても、四十くらいのひとが、ママ、ママ、と母親を気づかっている。

最初の夜の食事のとき同じテーブルに座った。

娘さんは、断食マニアらしく、この施設も初めてではないそうだ。

ネットで仲間をつのって定期的に断食をしているそうである。

話していて、ぐいっと圧をかんじ、いやいや初日で一緒になるとずっと同じテーブルで食事することになるかも、とすこし気が重い。

翌朝の散歩で参加者の背中を見ているとなんと肩をいからせて歩いているひとが多いことだろう。

私の背中は自分ではみえないので、わからないが、背中が上がって首がみじかくなっているひとが多い。

親の介護から解放されたくて来ました、とか仕事がいやでいやでとか、参加者の事情はさまざまだ。

私も腰がよくない。

ストレスがある。

解決できない悩みもある。

断食マニアの女性はばりばりの肩をいからせて、歩き方まで肩からの影響を受けている。

一方母親のほうは、自在な背中でがんがん両手大きく振ってわが道を歩いている。

そーかー、このひとはこの母親にやられちゃってるんだな、とフロイト博士になって親子をながめる。

ママと一緒に来ました、ママのために来ました、とみんなに話して、仲良し親子ですね、などと言われている。

そもそもそこがあやしい。

最後の日、彼女とロビーでお茶を飲む。

「断食はくるしいけど、くるしい自分を受け入れなくちゃ、自分はがんばれがんばれと言われて来たから、あのひとに」

と参加者と談笑する母親のほうをあごで示した。 

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