Nちゃんは、四歳のときに転園してきた。
転園してきた子どもは、たいへんな努力をしていることが多く、特にこれまで経験してきてない活動をするのだから、二歳から私の表現活動に参加してきた子どもたちのなかにポンと入って、一緒に動くことはたいへんだ。
Nちゃんは、月齢も高く身体も大きくてしっかりもの。
子どもの体幹は、「音に合わせてひとりで歩く」という、ただそれだけの活動において明白になる。
Nちゃんが歩く姿をみたとき、思わず「お」と声が出た。
堂々とした歩きっぷり、速度、姿勢、首に支えられた顔の表情においてこの子の体幹力が現れていた。
誤解のないように言っておくが、体幹がある子とない子がいるわけで、ある子がよくて、ない子がよくないと言っているわけではない。
ひょろひょろしている子は、ひょろひょろなりに、ぐにゃぐにゃの子はぐにゃぐにゃなりである。
転びやすかったり、ケガしやすかったりということはあるにせよ。
なんとなく落ち着きがなかったり、ひねった物言いだったり態度だったり、ということがあるにせよ、だ。
Nちゃんは、運動会の竹馬でも一位、大きな拍手が運動場に響いた。
そして劇の会でも主役を演じた。
この園では、劇の役はオーディション形式で選ぶのだ。
Nちゃんは、主役に手を挙げた。
Nちゃんは、最後の日に私に抱きついて泣いた。
この活動を始めて15年ほどになる。
女の子たちがしくしく泣いてくれたり、ひとりひとり抱きついてきて別れを惜しんだりしたことはあったが、こんなに感情を乱して抱きつかれ、いつまでも泣き続ける、ということはなかった。
Nちゃんどうして泣いてるの、と他の子どもが不思議そうにたずねても、まだまだ泣いていた。
Nちゃんのことを思うと、苦しくなる。
もうNちゃんと会えないと思うと苦しい。
Nちゃんだけでなく、保育園に残してきた百人ほどの子どもたちのことを考えると、自分はここに居てよいのたろうか、と思うのだ。