その友人とは、私が居候していたようなこともあったし、
私が海外にいた頃は彼女が長逗留していたこともあり、
傷つけたり傷つけられたり、
親しいんだか、親しくないんだか、
しかし、付き合わない期間もあったが決別することなく、かといって再び親しく付き合うということもなく、年に一度恒例の贈り物を正月に届けにきてくれるだけの関係がつづいている。
最後にふたりで出かけたとき、強引な待ち合わせ場所に「相変わらず勝手だなあ」と感じ、行きは私が合わせたのだから、帰りはこっちと思っても
「いや私はそれだと遠くなる」と付き合わない。
数年ぶりに会うたびに自分勝手になっている。
相手の歩調に合わせない、というより合わせることができないようなのだ。
生まれてすぐに、実母が逃げ、育ててくれたおばあちゃんとふたりで、親戚を転々とした。
私も相当に複雑な家庭環境であるが、彼女も負けてない。
そのうちの叔父にあたるひとからは、おばあちゃんはいいけど、子どもはだめだ、と彼女だけつっぱねられ、結局最後に養子縁組することになる母の妹の家に引き取られ、その後何回も結婚と離婚をくり返す母の妹と道づれにされることになった。
成人して就職、結婚、出産、離婚、数々の恋愛、破局を経て現在の独居生活になってはや六十代後半。
彼女をあっさり捨てた実母は、再婚もあっさりしてふたりの子どもを設け、ちゃっかり地方都市に暮らしていたが、旦那との関係がわるくなると彼女を頼って上京し転がり込んできた。
どのつら下げて、と思うが、自分を頼ってきた母がうれしくで、あれこれ世話を焼く彼女である。
彼女のほうが出かけていくと、歓迎されなかった。
ひとを通して、もう来ないでくれ、と言われたときは、絶望的に傷ついて、もう葬式にも私は行かない、と怒った顔をした。
最後に会ったとき照れたような顔をして、おかあさんにお金を送っている、と言う。
旦那は死んで、ひとりになり子どもたちから金をせびっていたが、子どもたちからもうこれ以上は出さないと言われたらしい。
それなら私が、と退職して余裕のある彼女のほうからしゃしゃり出て金を送っている、というわけなのだ。
「え、もう葬式にも出ないって言ってたんじゃないの」
と言うと、顔を歪めて、
「あのときは、旦那さんに気を使ってたんだよ、ほんとうは私を引き取りたかったらしいよ」
などと言い出す、
「え」
と私は言う。
「なんども引き取ろうとしたんだって、おばさん(母の妹)が私を放さなかったんだよ。」
だまされてはいけない、あんたを捨てていいようにしている女。
自分が捨てた子を押し付けて、育ててもらっておきながら、自分の身(金)のためならなんだって言う。
だめだめ、金を取られてはいけない、金をあげるならあんたが置いてきた子に残すべきだ、
言わなかったが私の目はそう語っていたはずだ。
ありえない。
社交ダンスにあけくれ、八十超えて衣装代をせびる女。
憎しみを感じる。
そしてま・て・よ・とくるしく考えてみる。
このじりじりするような感情は、どうだっていい他人に対してもつにしてはつよすぎる。
私は、友人と友人を捨てた母親に、私と私を捨てて出て行った母とをかぶせている?
むりやり考えてみた。
いやいや、私の母は、こんなひとではない。
私の母は、生き延びることができなかった。
生き延びてなんども結婚し、捨てた子どもに無心するような破廉恥な女と一緒にしては母の名誉が傷つく。
それはそうだが、私の感情というものだけを抜きとってみたら、私を置いていった母に対する怒り。
表出することができなかった感情がそこにはあるのだ。
そう気づくと、彼女とも彼女の母からもきもちがすっと離れる。
どうだっていい。
彼女の金だ。
彼女が使いたいように使えばいい。
以来、避けられてるが。